[栃木県]足利市の参拝神社
- 大原神社(栃木県足利市)
- 織姫神社(栃木県足利市)
- 水使神社(栃木県足利市)
- 樺崎八幡宮(栃木県足利市)
- 緑町八雲神社-上宮-(栃木県足利市)
- 山下愛宕神社(栃木県足利市)
- 御厨神社(栃木県足利市)
- 門田稲荷神社(栃木県足利市)
- 大門通八雲神社(栃木県足利市)
- 山下春日神社(栃木県足利市)
- 堀込白山神社(栃木県足利市)
- 足利伏見稲荷神社(栃木県足利市)
- 通五丁目八雲神社-下宮-(栃木県足利市)
- 島田八坂神社(栃木県足利市)
- 長尾厳島神社(栃木県足利市)
- 日光鹿島神社(栃木県足利市)
- 三崎稲荷神社(栃木県足利市)
- 西宮神社(栃木県足利市)
- 浅間神社-上宮-【男山】(栃木県足利市)
- 大手神社(栃木県足利市)
- 下野国一社八幡宮(栃木県足利市)
- 伊勢神社(栃木県足利市)
大原神社(栃木県足利市)
神社名:大原神社(おおはらじんじゃ)
祭 神:天兒屋根命 經津主命 武甕槌命 比女神 (平将門公 参考)
鎮座地:栃木県足利市大前町1402
御朱印:あり
由緒書:あり
駐車場:境内正面と右に数台
-大原神社 由緒書-
当社ハ人皇第十二代景行天皇四十二年、日本武尊東蝦ヲ征伐シ、其ノ帰路諸國巡視ノ際、此ノ地ニ御巡啓アリテ今ノ台山ニ登リ、國家鎮護ノ為トシテ山城國乙訓郡官幣中社大原野神社ノ四柱ノ大神ヲ勧請スト伝フ
是当社ノ起源トス傅説ニ曰ク、永承六年当社ノ白幣今ノ宮地ニ飛ビ来リ立チシヲ以テ大神ノ神慮ナラムト里人相議リテ宮殿ヲ今ノ地ニ造営遷座シ奉ル
貞亨二年宮殿ヲ再建ス
享保七年宗源宣旨ヲ賜ヒテ神位正一位ヲ贈ラル
文政十三年十一月社殿ヲ改造ス
天保初年本殿上屋ヲ新築ス
明治五年十二月修繕ヲ加フ、同年郷社ニ列セラル
明治四十年五月幣帛神饌料供進ノ郷社ニ指定セラル
明治四十三年大字内無格社十社ヲ合祀ス
当社ハ腹部ヲ病ムモノ祈リテ霊験アリトテ遠近ヨリ参拝スル者絶ユルコトナシ
又、亀甲形腹掛ヲ借リ病気平癒セシ後新ナル亀甲腹掛ヲ添ヘテ奉納スル神例アリ
-大原神社 案内板-
本社は、人皇第十二代景行天皇の御代、日本武尊が東征帰路台山(本社の後方の台地)に登り前方の豊に稔る田野を見渡され、国家鎮護の為に山城国大原野神社を勧請して建てられたという。
中世以降は坂西各村の総鎮守として栄えた。
織姫神社(栃木県足利市)
神社名:織姫神社(おりひめじんじゃ)
祭 神:天御鉾命 八千々姫命
鎮座地:栃木県足利市西宮町3889
御朱印:あり
由緒書:あり
駐車場:織姫公園・神社前観光駐車場あり
-織姫神社境内由緒案内板-
足利は古くから織物を中心として栄えてきました。
奈良時代初期の和銅6年(713年)というのが足利織物が文献上に残る最古のものと言えるでしょう。
その約1,300年の伝統を持つ足利織物の守り神として奉られているのが足利織姫神社で、昔機織を司られた天御鉾命と八千々姫命を祭神としております。
昔は「機神さま」と呼ばれ、明示12年8月24日に合祀されていた通4丁目の八雲神社から今の織姫山南麓に遷宮しましたが、翌年の明治13年9月10日の火災で焼失以来、仮宮のまま約50年を経過。この間、織姫神社奉賛会により織姫神社中腹に朱塗りの社殿が造営され、昭和12年5月7日仮殿から遷座して現在に至っています。
緑に映える朱塗りのお宮は、国登録有形文化財にも指定されている足利の名勝の一つで、足利県立自然公園の最南端に位置しています。社殿の東側には関東ふれあいの道「歴史のまちを望むみち」が通っており、北に続く織姫山一帯は明治100年記念事業として造成された総合公園(織姫公園)になっています。
-織姫神社由緒書-
当織姫神社の祭神は、太古の昔より機織を司る天御鉾命・八千々姫命のニ柱の神様です。
このニ柱の神様は、もともとは皇太神宮御料の織物を織って奉納したという、伊勢国渡会郡井出の郷、御織殿の祭神でした。
千二百年の歴史と伝統を誇る機業地足利の守護神として、このニ柱の神を勧請、その分霊をお祭りしたのがこの織姫神社なのです。
記録によりますと、明治十二年八月二十四日、足利市通四丁目から機神山南麓にかけての梅林を切り開いて遷宮したとあります。
ところが、翌十三年九月十日、火災により神殿が焼失、以来仮宮のまま経過しておりました。
昭和九年春、崇敬者有志をもって、織姫神社奉賛会を組織し、社殿再建に着手しました。
三年有余の歳月をかけて落慶、昭和十二年五月現有社殿の威容が完成しました。
朱塗りの殿堂は緑の景観に映えて美しく、関東ふれあいの道の名所にもなっています。
水使神社(栃木県足利市)

神社名:水使神社(みずしじんじゃ)
祭 神:水波能売命(イソ女水使権現)
鎮座地:栃木県足利市五十部町1235
駐車場:神社入口右側に数台

-足利の伝説-
昔、五十部村に、余戸小太郎という郷士が住んでいました。四つぐらいのかわいい男の子がいて、いつも召使のイソと遊んでいましたが、ある日のこと、イソがふと気がつくと、そばにいたはずの子供の姿が見あたりません。
はじめは、どこかに隠れているのだろうと軽く考えていましたが、屋敷中くまなくさがしてもいません。まるで神かくしにでもあったように。
屋敷の外に出て、子供の名を呼びながら、淵のそばまできたイソの目に、水底にゆらゆら揺れる子供の影が見えるではありませんか。半狂乱のようになっていたイソは、自分が泳げないことも忘れ、子供を救おうとして飛びこみましたが、水中深く沈んで、ついにおぼれ死んでしまいました。
どうして子供が急にいなくなってしまったのでしょう。実は大きな鷲が飛んできて、アッという間にさらっていき、淵のそばにある大松の枝の上で、無残にも殺してしまったのです。水の底に見えたのは、松の枝で死んでいた子供の影でしたが、それを見わけるだけの余裕がイソにはなかったのでしょう。
さてそれからは、この淵のそばを通ると、水の中に呼びこまれるとか、いろいろ異変がおこり、いつしか”影取の淵”といわれるようになりましたが、村人が御厨子さまという神社を建て、イソの霊をまつってから騒ぎもおさまったそうです。
この神社は、近くの田んぼが水あげに困っていたので”田を祭る神”とされましたが、明治維新の際、水使神社と改称しました。水使さまは山の田へ水を上げる神様水あげということから、花柳界の信仰をあつめ、また、婦人の諸病に効験があるともいわれて、今でもお参りの人が絶えないそうです。
樺崎八幡宮(栃木県足利市)

神社名:樺崎八幡宮(かばさきはちまんぐう)
祭 神:誉田別命 源義兼公(足利義兼公)
鎮座地:栃木県足利市樺崎町1723
駐車場:神社入口右側に大型駐車場あり

-樺崎八幡宮案内板由緒-
樺崎八幡宮は、正治元年(1199)、足利義兼の生入定の地に八幡神を勧請し、義兼の霊を合祀したことに由来する。
本殿は、天和年間(1681〜1684)の再建といわれ、昭和六十三年度・平成元年度の保存修理で、本来の造りであった隅木入春日造(軒唐派風)に復元した。
この建物は意匠上においても種々の面で卓抜したものがあり、歴史的由来とあわせて価値の高い建造物である。
(昭和六十一年九月二十四日 足利市指定)
※ 足利義兼は、奥州藤原氏征伐の後、建久年間(1190〜1199)、この地に下御堂(法界寺)を創建した。
義兼は正治元年、当地にて入寂、その子義氏は、法界寺の諸堂宇を整備するとともに八幡神を勧請した。
足利将軍家の衰退とともに法界寺もその庇護するところを失い、現在では樺崎八幡宮を残すのみである。
緑町八雲神社-上宮-(栃木県足利市)

神社名:八雲神社(やくもじんじゃ)
祭 神:素盞鳴男命 火己貴之命 少名彦名之命 軻具突智之命 猿田彦之命
鎮座地:栃木県足利市緑町1-3281
御朱印:あり
由緒書:あり
駐車場:神社左側にあり

-境内案内板由緒-
佐野唐沢山城主、下野守藤原村雄(秀郷の父)が夢のお告げにより、貞観年間(859-876)に創建したと伝えられています。
また「栃木県神社誌」によれば、清和天皇の貞観11年(869)、右大臣藤原基経が、当緑町に上社、5丁目に下社を勅願所として創建したといわれています。
平将門の乱に平定祈願成就により、足利、梁田両郡の総鎮守となり、牛頭天王と呼ばれ広く崇敬を集め、朝廷や国府からの参拝も行われたと伝えられます。
境内に宝憧寺や本町薬師もあったようです。
案内板-神鏡-
牛頭天王をまつる緑町の八雲神社は、古来足利六十六郷の総鎮守と称せられ、歴世市民の信仰を集めてきた神社で、領主もまたよくこれを保護してきた。
神鏡は、直径46cm、厚さ1.8cmをはかるもので、保存良く裏面に由緒が明確に彫刻されている。
それによると、元禄八年(1695)の社殿改築のおり、古銭が大量に入った瓶が地中から発見されたが、時の領主、本庄因幡守はこれを吉祥として喜び、古銭を鋳なおしてこの神社に納めたという。
なお、この時の社地は現在地より東の位置である。
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山下愛宕神社(栃木県足利市)

神社名:愛宕神社(あたごじんじゃ)
祭 神:軻遇突智命
鎮座地:栃木県足利市山下町

-山下愛宕神社栃木県神社誌由緒-
創祀の年代不明であるが昔は愛宕山大権現と称し善門院法印の支配していたもののようである。明治三年三月二十四日愛宕神社と改称した。現在の本殿は寛永七年十一月再建されたものである。
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御厨神社(栃木県足利市)

神社名:御厨神社(みくりやじんじゃ)
祭 神:天照皇大神 豊受大神
鎮座地:栃木県足利市福富町2018
駐車場:神社入口横に2・3台

-御厨神社全国神社名鑑由緒-
康平年中源義家が奥夷征討の途次、下野国足利氏の家に宿し戦勝を祈願、伊勢両宮の神託を感じ、凱旋の際足利太夫成行に社地を選ばせて創建したものと伝える。その後建久八年源頼朝社殿を再建し社領を寄進、徳川氏に至り朱印領を寄せられた。梁田十八郷を御厨と称し、絹布・綿等を伊勢神宮に奉献する神領地であり、当社はその御厨郷の総鎮守であった。明治八年御厨神社と改称し、同九年郷社に列した。
門田稲荷神社(栃木県足利市)

神社名:門田稲荷神社(かどたいなりじんじゃ)
祭 神:倉稲魂命
鎮座地:栃木県足利市八幡町387(八幡宮境内社)
由緒書:八幡宮由緒書内
駐車場:八幡宮駐車場に数台

-八幡宮由緒書門田稲荷神社-
八幡宮境内に祀られ、祭神は倉稲魂神で、昔は現在地より南西の門田郷にあったことから門田の稲荷と呼ばれたという。
八幡宮の記録によると境内には七つの末社があり、その一つである稲荷社に明治四十五年五月、宇宮前の稲荷社(俗称縁切稲荷)を合併したとあります。
縁切に関する古い絵馬が今も残され、住時の風俗、悩みなどをうかがうことができ、貴重な資料となっています。
門田稲荷神社は日本三大縁切稲荷の一つに数えられ、縁切は勿論のこと病気、災難、厄除にも霊験あらたかな稲荷神社です。
※日本三大縁切稲荷
・榎木稲荷(東京)・伏見稲荷(京都)・門田稲荷神社(足利)
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大門通八雲神社(栃木県足利市)
山下春日神社(栃木県足利市)

神社名:春日神社(かすがじんじゃ)
祭 神:天津日子命
配 神:天児屋根命 比売神 武甕槌神 経津主神 人丸命
鎮座地:栃木県足利市山下町
駐車場:境内に駐車スペースあり

-山下春日神社栃木県神社誌由緒-
当社は、享録二年三月二十七日杉之坊という行者が、奈良の春日大神四柱の分霊を奉遷して小祠を建立したことが当社の起源である。その後、天津日子番能邇々芸命を勤請して主祭神とし、五柱の神位を鎮座するに至ったものである。昔から、山下村の鎮守として祭事されていたが、寛永七年十一月、伊勢坊慈賢信徒と計り本社を再建した。これが現在の本殿である。宝暦九年三月拝殿が建築され、文化四年九月鳥居を造立した。明治五年村社に列格し、大正七年五月栃木県指令を以て神饌幣帛料供進社に指定され、山前村の宗教社となった。大正十一年四月社務所を建設した。昭和二十一年七月宗教法人令により届出。昭和二十四年三月国有境内地3.47坪余の譲与を受けた。昭和二十七年九月宗教法人法にもとづき登記した。昭和二十九年十二月太神宮外宮の古殿舎撤却材、六石半を譲与された。
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堀込白山神社(栃木県足利市)
足利伏見稲荷神社(栃木県足利市)
通五丁目八雲神社-下宮-(栃木県足利市)
神社名:八雲神社(やくもじんじゃ)
祭 神:奇稲田姫命
鎮座地:栃木県足利市通5-2816
駐車場:神社右側観光用駐車場に数台
-通五丁目八雲神社-下宮- 全国神社名鑑由緒-
創建は清和天皇の貞観年中であると伝えられる。古来当地の産土神で、下野掌覧には社名天王宮とみえる。明治六年郷社に列格。
-八雲神社のイチョウ-
目通り3.45m、高さ25m、幹は地上3mのところで三本の枝が出て西や南に伸びています。その上1.5mのところで幹は折れ、その上に新しい幹が三本出て高く伸びています。
鳥居のすぐ内側で大通りに面し、生物的環境のよくないところですがよく繁茂しています。雌木でよく結実し秋の黄葉は美しいです。幹の南側に大きな気根が見えます。大木ではありませんが長年にわたって神社の境内木として育てられてきたもので、長く残るよう保護していきたい木です。
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島田八坂神社(栃木県足利市)

神社名:八坂神社(やさかじんじゃ)
祭 神:須佐之男命
鎮座地:栃木県足利市島田町984
駐車場:神社前御厨神社側にあり

-境内由緒碑-
渡良瀬川が現在より南、矢場川流域を流れていた頃、渡良瀬川の氾濫の度に、決まって「関口」と呼ばれる場所に流れ着く小さなお宮があった。島田の郷の人々は、その都度上流の鎮座地と思われる場所にお返し奉斎していた。
またも流れ着いたとき ”この神様は、ここが気に入って流れ着くのだろうから、もうお返しせずに、ここにお祀りしよう。” と言うことになった。こうして、八坂神社(当時は、「牛頭天王」と奉称した。)が祀られる。ときは、平安時代・朱雀天皇の御代、天慶二年(939)十一月十日と言い伝えられる。
当神社は、厄除け・病退散に御利益があるとして、尊崇されている。毎年二月の節分の日に行われる「追儺祭」には、多数の参拝者で賑わう。
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長尾厳島神社(栃木県足利市)

足利七福神
神社名:厳島神社(いつくしまじんじゃ)
祭 神:市杵島姫命
鎮座地:栃木県足利市通6-3177

-境内案内板由緒-
六丁目弁天は、足利領主三代目の長尾景長が、西宮の長林寺に祀ったものであり、長尾七弁天の一つとされている。その後、明治元年の神仏分離令により現在地に遷座し、厳島神社となった。以来地域の守護神として厚く敬神され、安芸の宮島を見学して、それを模した鳥居も奉納された。この地域は、水害、火災もなく、各家庭や町内が仲よく和合して人情も厚い。弁天様のおかげと深く振興され清掃もみんなで行っている。弁天様は、水の神・芸術の神であり、財宝利得をもたらす女神である。
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日光鹿島神社(栃木県足利市)

神社名:日光鹿島神社(にっこうかしまじんじゃ)
祭 神:事代主命 健御雷男命
鎮座地:栃木県足利市大久保町1317
駐車場:神社右側にあり

-全国神社名鑑由緒-
創立年月日不詳。延宝七年・延享二年社殿が再建された。旧村社。
境内案内板-天井絵馬-
現在、本殿の鞘堂になっている建物は、もと拝殿であったのもであるが、この内部の格天井に板絵が描かれている。
一枚の画面の大きさは、四十八cm×四十五cmで白色の胡粉の地のうえに花鳥を中心としたさまざまな絵が七十七枚、彩色で描かれている。
内一枚に「嘉永二己酉年真三月末、驥斎安貞」の銘記があり、絵師は、赤見村(現佐野市)住の田村貞衛門安貞(驥斎安貞)で、江戸末期、嘉永二年(1849)に描かれたことがわかる。貞安はほかに、大久保町龍雲寺、佐野市赤見町西光院、田沼町戸奈良の種徳院観音堂などに作品を残している。
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三崎稲荷神社(栃木県足利市)

神社名:三崎稲荷神社(みさきいなりじんじゃ)
祭 神:宇迦之御魂神
鎮座地:栃木県足利市大前町

-栃木県神社誌由緒-
享保七年正月十三日寺内刑部少輔重久の裔、寺内勘解重清の孫、寺内清兵衛の長男、丸山昌貞法眼玄棟武蔵国豊島郡江戸小石川土堤三崎稲荷大明神を遷座すと、社殿にある。本殿は、地頭、土井備中守の祖先、土井主計の代より累代崇敬を加え、開運三崎稲荷大明神と崇め、天保三年正月、土井利幸より境内付山林一町歩余を免租地に付せられた。同六年十一月地頭の奏聞により宗源宣旨を賜わり正一位の扁額および長保呂並に大提灯四張を奉納された。拝殿には、当時、著名の画人の筆による額が数多く、中でも三十六歌仙は雲上人の筆になるものであると伝えられている。現在もまだ当社にのこされている。
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西宮神社(栃木県足利市)

足利七福神
神社名:西宮神社(にしのみやじんじゃ)
祭 神:事代主命(恵比寿神) 蛭子命
鎮座地:栃木県足利市西宮町2931
御朱印:あり
由緒書:あり
駐車場:恵比寿講のときは臨時駐車場あり

-境内由緒案内板-
当社は、慶長八年(1603年、江戸幕府ができた年)代官小林重郎左衛門が摂津国(兵庫県)の西宮神社を勧請し創建した。
商売繁盛、財福清廉の「福の神」としての恵比寿神の神徳は、関東一円にわたり、関東総社として多くの人々の崇敬が篤い。昭和五十年には、鎮座四百年祭が盛大に行われた。
十一月十九、二十日の秋季大祭は、十数万余の参拝者で賑わい、一キロの参道を、お宝売りをはじめ、さまざまな店が並ぶ。境内の神楽殿では、お神楽の奉納も行われ、近郷最大の名物行事となっている。
-由緒書-
戦国時代、関東地方は古河の公方勢と上野の上杉勢が対立、足利地方は幾度も戦場になり、街は焼かれ、田畑が乱されました。徳川氏の代官風祭太郎左衛門は疲弊した足利を再興するため尽力しましたが、その一つとして産業の神様摂津国西宮大神を栗崎(現在地)に勧進しました。その後の代官たちも神域を整備し、祭りを盛大にしてきました。その霊験はすぐに顕われ、足利は織物業が飛躍的に発展し、作物の成育もよくなり、街びとたちは栗崎の恵比寿様のお陰とお参りする人が増え続けました。噂は関東一円に広まり、江戸・相模・武蔵からも参詣に来るようになり、各地に恵比寿講が出来ました。
代官所の庇護で始まった神社は宝永二年(1705)足利藩が誕生すると、地元有志に任され、祭祀世話人会が結成され、以来三百年間、地元世話人会の人びとによって守り続けられてきました。
江戸時代、境内で勧進大相撲や近くの田んぼで小屋掛の芝居まで行われ、関東有数のお祭りで知られるようになりました。現在も秋季大祭には三百余軒の露店が並び、商売繁盛の祈願とお礼参りのため、参詣で賑わいます。近年は七福神めぐりの神社として訪れる人も多くなっています。
浅間神社-上宮-【男山】(栃木県足利市)

神社名:浅間神社(せんげんじんじゃ)
祭 神:木花咲耶毘賣命
鎮座地:栃木県足利市田中町
御朱印:あり(ペタンコ祭り用)
由緒書:あり
駐車場:ペタンコ祭り時に河川敷に1000台くらい

-由緒書-
当神社は、天喜二年(1054年)藤原秀郷公七世の孫藤原姓足利氏の祖従五位下足利大夫成行公が足利城築城に際し勧請されたと伝えられております。
古来より足利富士として信仰され、上の宮と下の宮との二社から成り、上は男浅間、下を女浅間と称し崇拝されております。
現在の上の宮は、昭和十年に改築され、下の宮本殿は平成七年に改築されました。
初山祭(ペタンコ祭)は足利市重要文化財民族文化財に指定されております。
無病息災・子授安産子育・無事成長・開運出世の守護神。
麦わら竜の伝説
その昔、足利地方に起こった大飢饉により疫病が流行し、幼い子供たちが大勢亡くなりました。
そしてその年の夏、大雨が降り続き渡良瀬川が大洪水を起こしました。その大洪水はそれはすごい有様で、下浅間神社の裏山に濁流が打ち当たり、風雨で砕けるほどの水勢でした。今でも残っている下浅間神社の裏山の断崖はこの時に削られたものだそうです。(今の渡良瀬川は、当時山の西方を流れていた。)
とその時、突如として竜が現れ、浅間山に登ったかとおもうと、すうっと雲の中へと消え入ったのです。
すると不思議なことに風雨もやみ、洪水もおさまり、やがて疫病も消えるように治ってしまったそうです。
それを見た人々は突然の事に驚き、「竜は浅間様のお使いではないか」と信じるようになりました。そしてそれからは祭りも盛んにし、毎年6月1日の初山開きの祭りで農家の人々が作った麦わら製の竜を買って帰り、井戸端やお勝手、近年では水道の蛇口につり下げ、口から入る悪水除、そして疫病除のお守りとしていたそうです。
昭和20年以後は作る農家の人もなく、消えてなくなっていましたが、現在では氏子、総代の皆様の努力で復元されています。
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大手神社(栃木県足利市)

神社名:大手神社(おおてじんじゃ)
祭 神:天手力男命 (平将門公 参考)
鎮座地:栃木県足利市五十部町375

-案内板-
祭神は天の岩戸開きの神話で有名な天手力男命で、人間の手の神様として尊信し、手を病む者または手の上達を願う者の祈願神であり、手の型を描いた絵馬を奉納する人が多い。
ところが、また別にいつの頃からか、その祭神は平将門であるとして、その将門が藤原秀郷に殺害されたのは、桔梗姫が秀郷に将門の居場所を指さして教えたからだと伝えられ、その後、大手神社の敵は桔梗姫であるということから、この神社のある新屋敷町では、桔梗のすべてをきらい、たとえば着物の柄にいたるまで使用しない習慣があるといわれている。
下野国一社八幡宮(栃木県足利市)

神社名:下野国一社八幡宮(しもつけのくにいっしゃはちまんぐう)
八幡八幡宮(やわたはちまんぐう)
祭 神:誉田別命 大帯姫命 姫大神
鎮座地:栃木県足利市八幡町387
御朱印:あり
由緒書:あり
駐車場:社務所前に数台

-由緒書-
八幡宮の社伝によると、天喜4年(1056)八幡太郎の名で有名な源義家が、陸奥の豪族、阿部頼時父子との戦い(前九年の役)にあたり当社付近の大将陣に宿営し、戦勝を祈願して現在地に小祠を創建し、山城の国(現京都)の男山八幡宮を勧請したといわれております。
文明8年(1476)8月、長尾景長は境内社木伐採の禁制を出し保護を加え、その後の元和7年(1621)11月、江戸幕府より20石の朱印社領を許されました。この時の設計図や費用明細書等が残されております。
八幡宮は、八幡太郎義家・義国の父子の手厚い信仰により源姓足利氏の代々の氏神として保護され、古くは足利荘八幡宮と呼ばれ、下野国内第一の八幡宮として、下野国一社八幡宮、一国一社八幡宮とも称されておりました。
現在の社殿は文化11年(1814)に再建されたものです。
幣殿・拝殿については、平成8年、9年度に保存修理を行い、創建当時の姿をみせております。
-由緒書門田稲荷神社-
八幡宮境内に祀られ、祭神は倉稲魂神で、昔は現在地より南西の門田郷にあったことから門田の稲荷と呼ばれたという。
八幡宮の記録によると境内には七つの末社があり、その一つである稲荷社に明治四十五年五月、宇宮前の稲荷社(俗称縁切稲荷)を合併したとあります。
縁切に関する古い絵馬が今も残され、住時の風俗、悩みなどをうかがうことができ、貴重な資料となっています。
門田稲荷神社は日本三大縁切稲荷の一つに数えられ、縁切は勿論のこと病気、災難、厄除にも霊験あらたかな稲荷神社です。
※日本三大縁切稲荷
・榎木稲荷(東京)・伏見稲荷(京都)・門田稲荷神社(足利)
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伊勢神社(栃木県足利市)

神社名:伊勢神社(いせじんじゃ)
祭 神:天照皇大神
外 宮:豊受皇大神
末 社:月讀命
鎮座地:栃木県足利市伊勢町2-3-1
御朱印:あり
朱印帳:茶色(栃木県主要神社一覧・カバー付)
由緒書:あり
駐車場:境内左手に10台くらい

-由緒書-
当神社は、古来、足利庄伊勢宮として、皇祖天照皇大神を奉斎して鎮祭され、足利氏の累代をはじめ、衆庶の人々が連綿と尊崇したといわれ、それは平安時代の中頃(1150年代)の創建と伝えられる。
引化二年(1845年)に社殿を復興造営して、以来明治十四年(1881年)、全三十九年に社殿の再興(当時東町)を行い、大正二年(1913年)には足利町民が挙って、伊勢神宮御用材のお木曳行事を盛大に斎行して、御社殿などを造営した。
しかし乍ら、全十四年に町の大火により境内の社殿のほか殆どが鳥有に帰した。
その後当宮を永遠に奉斎して、神ながらの本姿をねがう氏子崇敬者の熱誠と奉賛とによって、伊勢神宮の御正殿に倣い、端麗にして簡潔、重厚にして単純さを表す神明造りの建築様式で現在地に御社殿・鳥居・社務所等の諸建造物を新築し、昭和四年(1929年)に竣工、本殿遷座祭を斎行した。
御社名を伊勢神社と改称、村社に列していよいよ御神徳の宣場、社頭の隆昌を期して現在に至った。
今なお美わしき郷土の守護神として、広大無辺な御神徳を蒙り、足利のお伊勢さまとして親しまれている。

























