[栃木県]大田原市の参拝神社
笠石神社(栃木県大田原市)

神社名:笠石神社(かさいしじんじゃ)
祭 神:那須国造直韋提(くにのみやつこあたへいで)
鎮座地:栃木県大田原市湯津上430
御朱印:あり
由緒書:あり

-案内板-
この碑は、今から約1300年前(西暦700年)、那須国造であった那須直韋提の遺徳をたたえるため、その息子意斯麻呂らによって建立された碑です。文字の刻まれた碑の上に笠状の石を載せた特異な形をしていることから、この地域では「笠石さま」とも呼ばれています。
碑には、八行に各十九字ずつの計百五十二字が刻まれており、その書体には中国の六朝時代の書風が感じられます。また、碑文冒頭には「永昌」という唐の則天武后の時代に使用された年号が用いられているなど、その当時に朝鮮半島の新羅から渡来してきた人々の影響が色濃く残されています。
この碑の保存には、江戸時代の水戸藩主、徳川光圀も関わっています。永井間倒れ埋もれていたこの碑を、旅の僧が発見し、馬頭村小口郷(旧馬頭町)の里正、大金重貞に話したところ、やがてその地域を領地としていた徳川光圀のもとへこの碑の話が伝えられました。そして、この碑が貴重なものであることがわかったことから、元禄四年(1691)碑堂を建立して、碑を安置しました。これが、現在の笠石神社となっています。
なお、多賀城碑(宮城県)・多胡碑(群馬県)とともに日本三古碑として知られています。
-由緒書-
日本三古碑中(本碑と、上野国多胡碑、陸前国多賀城碑)一番古く、一番由緒の深い此の碑が、何時の頃よりか草むらの中に埋れて、世に知る人もなかった。唯、里民は、碑の頭上に笠石があるので、此の石を降したり冠せたりして、雨乞をしたのに効験があったと云う。然るに貞享四年、水戸黄門光圀が馬頭町梅が平の大金重貞から、該碑の話を聞かれ、保全の恩召を以って、元禄四年に御堂を建立し、現在の如く安置し奉ったものである。
明治四十四年早く国宝に指定され、昭和二十七年新国宝となった。
-由緒書碑文訳-
永昌元年巳丑四月、飛鳥浄御原の大宮那須国造、追大壱那須直韋提に、評の督を賜わる、歳庚子に次る、年の正月ニ壬子の日、辰節に弥故す。
意斯麻呂等碑を立て徳を銘すと称云。
仰ぎ惟れば殞公は広氏の尊胤にして、国家の棟梁たり。一世の中重ねて弐照せられ一命の期連に再甦を見る。骨を砕き髄を挑るとも、豈前恩に報ぜんや。
是を以て曽子の家には驕子あることなし。孝を行うの子は其の語を改めず、夏に銘す堯の心を、神を澄して照乾す。六月童子意うに香はこんを助く、徒を作す之大なり。言を合せて字を喩す。故に翼なくして長く飛び、根なくして更に固る。




