[栃木県]益子町の参拝神社
塙春日神社(栃木県益子町)
神社名:春日神社(かすがじんじゃ)
祭 神:天之子八根命
相 殿:伊弉諾尊 瓊々杵命
鎮座地:栃木県芳賀郡益子町塙1370
駐車場:拝殿前に数十台
-塙春日神社 案内板由緒-
春日神社は、小貝川上流右岸の田畑から台地に続く益子町塙の大高山に鎮座する。塙は、古くは「北田井」と称したが、建武年間(1334〜1338)宇都宮氏家臣塙能登守の所領となったことから「塙」村と改めたと伝わる。
第百代後小松天皇応永十五年(1408)9月、塙城主橘能登守藤原利政が再建し、塙郷の総鎮守社と尊崇する。苒来、氏子結社のご祖先は、戦乱の時も如何なる変革期にも貸すが神社を崇拝し、大切に護持してきた。
塙村は、戦乱が鎮まり江戸時代に入ると真岡藩領となり、寛永九年(1632)小田原藩領となる。天明三年(1783)からは幕府領となり、明治維新後の明治五年(1872)「村社」に列する。正徳四年(1714)に本社拝殿・鳥居の建替。明治十四年(1891)八月本殿・拝殿・幣殿・玉垣・両部鳥居、一新の造替をする。この時の棟梁は、旧の栃木県庁の棟梁添田弥一郎(茂木町出身)である。
明治三十六年編集の下野神社沿革誌には、「益子町大字塙字大高山鎮座、村社春日神社祭神天児屋根命 相殿ニ座 熊野神社祭神伊弉諾命 星宮神社祭神 瓊瓊杵命 祭日陰暦九月二十三日 建物本社間口五尺奥行同小羽葺雨覆間口三間奥行三間 拝殿間口三間ニ基氏子百十三戸総代四人 社掌木村祝務社域六百四坪」とある。
主要建造物と奉納物は、西面参道から境内にかけて、一の鳥居が大正三年七月に建立、二の鳥居は明治四十四年九月、三の鳥居は明治四十三年十一月、四の鳥居・両部鳥居が明治十四年に建立された。又、両部鳥居手前には手水石と弘化二年(1845)建立の芭蕉の句碑がある。安政六年(1859)には「春日大明神 虚空大菩薩 熊野大権現、安政六年九月二十三日」と記載された○旗一対が奉納。明治十四年(1891)御社殿造替の棟礼に「熊野大神 春日大神 星宮大神」と記載されている。
平成に入り、大字塙は公民館と益子西小学校などが整い、五三〇戸余の世帯を抱える益子有数の自治会となる。ふるさと郷土と人々との温かい絆が通う塙形成の精神的支柱は鎮守様「春日神社」の存在そのものであるとの認識から、歴史と伝統文化を誇りとする行為として、平成の大改修を完遂した。大高山の御社殿鎮座地を高盛土整備、本殿・幣殿拝殿の南面遷移、末社同左遷移、本殿雨覆舎新築、幣殿・拝殿・末社雨覆舎の改築、拝殿前第五鳥居の新築、駐車場の整備である。
鹿島神社(栃木県益子町)
神社名:鹿島神社(かしまじんじゃ)
祭 神:武甕槌命 熯速日命 甕速日命
鎮座地:栃木県芳賀郡益子町益子1685-1
御朱印:あり
朱印帳:茶色(栃木県主要神社一覧・カバー付)
由緒書:あり
駐車場:神社右手にあり

鹿島神社公式サイト
-益子鹿島神社 由緒書-
主祭神「武甕槌命(たけみかづちのみこと)は、神代の昔に、天照大御神の御命令によって出雲の国に天降り、大国主命と話し合って、日本の国を一つにまとめられた神様です。
その後、日本中を歩かれて最後に関東地方の開拓と鎮撫にあたられました。
仁明天皇の承和12年(846年)9月28日に創建。
大永、永禄年間には宇都宮盛綱及び広綱などが守護職と称し、慶長9年には徳川家康より祭祀料として黒印を付せされ、慶安元年9月三代将軍家光より社領七石の朱印を賜わる。
明治10年には村社に加列せられ、同12年社殿を再建。
しかし、大正4年1月に大火に遭い、現在の社殿は昭和2年10月4日に再建したものである。
益子亀岡八幡宮(栃木県益子町)
神社名:亀岡八幡宮(かめおかはちまんぐう)
祭 神:誉田別命 息長帯姫命 玉依姫命
鎮座地:栃木県芳賀郡益子町小宅1369-1
駐車場:入口右手にあり
-亀岡八幡宮 由緒-
後冷泉天皇の康平年中(1058〜65)源義家が勅命を奉じ奥州の安倍貞任等を征伐の途次芳賀郡古家郷(現小宅付近)の館に宿した。その地は旧跡御館山と称し現在の芦沼あり時に石清水八幡宮を遙拝戦勝を祈願、その時芦橿沼上に大霊亀が現れ奇瑞を示したので、大いに喜び進み夷賊を討滅、凱旋の後社殿を創建し康平七年(1064)勅命を以って亀岡八幡宮と称したことに始まる又、多数の神領を寄進したとつたえられる。その後源頼朝が藤原泰衡を征する時往年の吉祥を慕い、当社に武運長久祈願その効験霊徳あらたかにより、建久三年(1192)社殿改築更に建久八年(1197)社殿を現今の小宅に遷座以来代々武門の崇敬するところとなった。慶長五年(1600)徳川家康は数多の神領を寄進、それより後徳川将軍は累代崇敬、慶安二年(1649)将軍徳川家光より郷内の領地高十四石の朱印地と高七石の除地が寄進された。明治戊辰戦役の際は官軍が古例にならい百日百夜の戦勝祈願を行った。
当社は昔時芳賀・塩谷両郡の惣社として後冷泉天皇の勅願所であった。明治初年社格制定により郷社に列せられた。現在の本殿は明治十四年(1881)造営されたものである。戦後は神社本庁被包轄宗教法人、亀岡八幡宮となり御祭神のご神徳を慕う多くの参拝者の崇敬により今日に至る。
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