[群馬県]みどり市の参拝神社
大間々神明宮(群馬県みどり市)

神社名:神明宮(しんめいぐう)
祭 神:大日靈命 豊宇気毘売神
鎮座地:群馬県みどり市大間々町大間々2245
御朱印:あり
駐車場:大型駐車場あり

-由緒碑-
神明宮は黒川郷(渡良瀬川流域の里)一の社として 貞和三年(1347)境内地の伊勢ヶ渕に天照皇大神の神社を丈袋坊によりまつられる
慶長二年大間々町の鎮守として現在の処に仮宮をたて 慶長四年(1599)中興遷座をする 以来 明治十二年に至るまで二十一年目毎に社殿を建て替えまたは 修復工事をなし式年遷宮を行って来る この間 正徳五年(1715)外宮豊受大神の分霊を合祀し 天保七年(1826)酒井岩見守(二万五千石)は上州領分五千石の祈願所となし勢多郡下の勧化をゆるされる
明治五年十一月一町十八ヶ村の惣鎮守として郷社に列す
明治二十年三月大間々町の大火により社殿を消失し廃土のなか氏子達は再建する
しかし二十三年再び火災にあい 氏子達の経済的負担が大きく縮小した社殿の建立となる その後 郷社神明宮にふさわしい社殿の建て替え計画は昭和の大恐慌により挫折する 昭和十六年より五年間 氏子総代近藤春吉氏を中心に社殿改築資金の積み立てを行うが 終戦の混乱と物価の高騰により建築を断念する
鎮座六百五十年 中興遷座四百年の記念事業としてまた 二十一世紀に向け数百年後まで残す大事業として 多くの氏子崇敬者に神社建築資金の御寄進を賜り平成十二年五月二十日総桧造りの御社殿を完成する
ここに 神社建設に携わった方々 建設資金の御寄進を賜った氏子崇敬者の皆様に 新しいご社殿に鎮りまし坐す御神霊のご加護あらんことを祈念する
-大間々町誌由緒-
大間々の総鎮守で字川窪に鎮座している。貞和三年(1347)に伊勢神宮から勧請したと伝え、現在地に移ったのは慶長二年(1597)である。明治二十年(1887)には類焼により社殿を焼失。その後、再建にあたって火災に強い瓦葺きとした。神社は道路よりも低く、いったん下る形式の神社配置で富岡市の貫前神社に形式が類似している。享和三年(1803)には参道の敷石が整備された。これは商人連中の手になるものであり、大間々の商人がいかにこの神明宮と深い関わりを持つかを物語るものである。明治五年(1872)には、大間々町、福岡村、川内村、相生村の郷社に指定されている。春祭りは、現在四月第二日曜日、秋祭りは十月十五日である。境内には大間々祇園と深い関わりがある八坂神社が合祀されている。この八坂神社は寛永六年(1629)に京都の八坂神社から勧請したものであり、ここの神輿が大間々の祇園祭りを盛り上げてきた。
-伊勢ヶ渕弁天宮由緒-
往古、黒川郷(渡良瀬川流域の里)一の社として、この崖下、伊勢ヶ渕の岩頭に祀られた伊勢皇大神宮(神明宮)を慶長四年、現在の処に遷座した時に境内地の守護と黒川郷の人達の繁栄の福神として祀られたのです。
古来より弁天宮の縁起は、己巳の日に拝めば、神の使いの巳によって、必ず大願成就するといわれ、この弁天宮の御神徳は、商売繁盛の神、近年には、病気の平癒、交通安全、入学祈願、縁結びの神として、とくに御婦人の信仰が篤く霊験あらたかです。伊勢ヶ渕の名称は、この崖下の岩頭に伊勢皇大神宮が祀られていたのでこの名がついたのです。
一説に、天正六年九月太田市金山城主由良成繁が、高津戸城(対岸の山頂)里見氏兄弟を攻め亡した時、兄、里見勝政の妻、伊勢の方が殿に殉じて、腰元と入水自害したのでこの名がついたとも云われている。
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鹿田赤城神社(群馬県みどり市)

神社名:赤城神社(あかぎじんじゃ)
祭 神:大穴牟遅神 豊城入彦命
鎮座地:群馬県みどり市笠懸町鹿2693
駐車場:あり

-鹿田赤城神社新田郡神社誌由緒-
創立の起源は遠く神代にして大穴牟遅神を奉祀し、豊城入彦命御参拝あらせられ、荒田別命御社殿を改築せられ、天平勝賽年中上毛野駿河公幣帛を賜り、世々上毛野氏の崇敬篤く淡甘郷総鎮守の社として上毛野氏及びその族鹿田浅海両家の信仰もあり、上野国神名帳所載の従三位大穴伏明神はこの社にして天徳年中源經基朝臣幣帛を献り源家累代信仰篤し、保元年中新田義重卿富国の大社赤城大明神の御祭神豊城入彦命の御分霊を合祀し社号を赤城大明神と改め、またしし山の宮と称し神田を寄進せり。元弘三年新田義貞公義挙の際、自ら戦捉を祈願し、正平七年宗良親王御参拝朝敵退散の御祈願あらせられ新田家の崇敬篤し、明治五年村社に列せられ、同四十四年八月本社境内神社九社及び附近の神社九社(内境内社七社)を合祀せり。
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浅海八幡宮(群馬県みどり市)

神社名:浅海八幡宮(あさみはちまんぐう)
祭 神:譽田別尊 比売大神 息長帯比売命
鎮座地:群馬県みどり市笠懸町阿左美1175
駐車場:境内に数台

-浅海八幡宮案内板-
勧請年月日不詳、京都市石清水の八幡宮より分霊を祭ると云う
昭和二十八年八月 社殿改築
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大間々貴船神社(群馬県みどり市)

神社名:貴船神社(きぶねじんじゃ)
祭 神:高龗大神 大山祇大神 大穴牟遅大神 外数神
鎮座地:群馬県みどり市大間々町塩原785
御朱印:あり
由緒書:あり
駐車場:あり
大間々貴船神社公式サイト

-案内板-
平安時代の天暦十年、東国(主に関東地方)がひどい干ばつに襲われた時、山城国(京都府)の貴船神社の祭神高龗神が雨を降らせてくれました。
人々はこの雨で救われ、関東平野の最北端、大間々扇状地の奥、渡良瀬川流域のこの場所へ分社として創建しました。
大山祇神・大穴牟遅大神も合わせて祭られており、開運福徳の神社として参詣されています。
-由緒書-
山田郡大間々町の町並みを過ぎて、足尾街道の対岸を渡良瀬川にそって登ると高津戸峡の峡尾にあたる古生層の断がいの上に貴船神社が鎮座している。
その境内に立つと、渡良瀬の渓流が崖足をかみ、その前方の山間には民家が散在し、その奥に赤城山の雄姿を仰ぐことができ、展望がすばらしい風光明美な所にある。
貴船神社の創立は明治三十六年十二月の火災で社記を焼失して不詳であるが、平安時代の天暦十年(956年)に、東国がひどい干ばつにおそわれ、草木枯死の悲惨な状態となった時に、山城国愛宕郡鞍馬村(現京都市左京区鞍馬貴船町)に鎮座する貴船神社の祭神が伊邪那岐命の御子で、闇お神とともに甘雨を降らし霖雨を止め、国土を永遠に湿潤にして草木の生育を助ける高お神であったので、その分霊を奉祀して、降雨と五穀豊穣を祈願したところ、それがかなえられたので、関東平野の最北端大間々扇状地の奥、渡良瀬川流域の山地に祭られ、現在地に建立されたのは江戸時代の寛文八年(1668年)といわれている。
御祭神高「お」大神の「お」は龍神で、水を司る神であり常に雨を掌らせられ、国土を永遠に湿潤にして草木をたすけ、人々の生活を豊かにし、大山祇大神は山を掌らせられ、大穴牟遅大神は国土経営の功績が絶大で、国土を守護し、人々の病めるを治し、不幸を救う御霊徳の高い祭神である。ですから貴船神社はすべての人々に福徳与え、大神を崇敬し、その御神徳に浴すことは、やがて衣食住の安全、即ち生活の保証を得ることになり、開運福徳の守護神とし、農工業の神、商売繁盛の神、交通安全の守護神として篤く崇敬されている。御霊験の明らかなことは、祭日、平日とを問わず年々崇敬者、参詣者の増加していることが如実に物語っている。とくに初詣は県内外より多くの参詣者が見える。
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八宮神社(群馬県みどり市)

神社名:八宮神社(はちのみやじんじゃ)
祭 神:品陀和気命 大穴牟遅神
鎮座地:群馬県みどり市大間々町桐原550

-八宮神社大間々町誌由緒-
八宮神社は桐原の鎮守である。桐原は、上桐原(十一区)、上の台(十区)、下桐原(九区)、間坂・戸沢・二軒在家(十二区)の四地区と広範囲であり、広い氏子圏を有する大きな鎮守と言える。八宮神社を「はちのみやじんじゃ」と呼ぶ人は少なく、地元では「はちまんさま」で通用している。境内には大きな杉が林立し、台風シーズンになると落雷の心配をしたものである。「上野国郡村誌」によると、赤城神社の八番目の分社であるところから「八宮」と名付けられたと伝えられる。一方、八宮神社はもともと八幡社と赤城社が合祀してできた神社であるから、かつて呼び慣わされてきた八幡様が通称のようになっているとも言われる。実際に祭神も二柱となっている。十月十五日が秋祭りで、この日は赤飯を炊いて祝った。祭りには上の台の人が班ごとに交代で月番をしていた。月番はお籠もりをして参拝客に対応する係りで、戦後はこの月番制度とお参りが次第に廃れてきたが、昭和三十年代まで行われていた。







