[埼玉県]騎西町の参拝神社
玉敷神社(埼玉県騎西町)

武蔵国延喜式内社:玉敷神社 宮目神社(境内社)
神社名:玉敷神社(たましきじんじゃ)
祭 神:大己貴命
鎮座地:北埼玉郡騎西町騎西552
御朱印:あり
由緒書:あり(2種類)
駐車場:あり

-境内由緒案内板-
当神社は第四十二代文武天皇の大宝三年(703)、東山道鎮撫使<多次比真人三宅磨>により創建されたと伝えられ(一説に第十三代成務天皇六年(136)、武蔵国造<兄多毛比命>によるという)、平安時代第六十代醍醐天皇の延長五年(927)に公布された、律令の施行細則「延喜式」の神名帳にその名を載せる、いわゆる延喜式内の由緒ある古社である。
以後、機多の歳月を経て戦国時代に至り、天正二年(1574)越後の上杉謙信が当国に出兵の折り、当時正能村(現当町正能)に在った当神社はその兵火にかかり炎上、古文書・社宝など悉く失われた。従って、それ以前の神社の歴史は明らかではない。
江戸時代に入り、寛永四年(1627)の頃、騎西城主<大久保加賀守忠職>によって現在の地に遷座、以来明治維新に至るまで、当神社は「勅願所玉敷神社久伊豆大明神」と称されて、埼玉郡(現南北両埼玉郡)の総鎮守、また騎西領四十八箇村の総氏神として尊崇され、厄除を始めとするその多くの御神徳は厚い信仰を集めていた。
この広範な領域に及んだ信仰は今日なお受け継がれ、二百年以上の昔から伝わる当神社独特の祓えの行事「お獅子様」を行う所は、当騎西町を中心とする県東北部の二十三の市町村並びに群馬・茨城両県の一・二の町の大字小字の地区にまで広がっている。
また、当神社には三百年を超える伝統を持ち、江戸神楽の原形を伝える文化庁選択・県指定無形民族文化財「玉敷神社神楽」が保存され、年四回、祭礼の折りに素朴で優雅な舞を披露している。
-由緒書-
当神社は文武天皇の大宝三年(703)に多治比真人三宅磨が東山道巡察使として武蔵国に下った時に創建したものと言われ(一説には成務天皇六年(136)の創建とも言う)、平安時代初期、醍醐天皇の延長五年(927)に公布された当時の法制の書「延喜式」の中にその名を記されている由緒ある古社である。
以来この地方の人々の広い尊崇を集めてきたが、戦国時代の天正二年(1574)上杉謙信の関東出兵の際、当時今の所より北方数百メートルの正能村(現騎西町正能)の地にあった当神社はその兵火にかかり炎上、社殿をはじめ、古記録・宝物など悉く焼失した。
徳川時代に入り、嘗って根古屋村(現騎西町根古屋)に在った騎西城の大手門前に一時再建されたが、やがて程なくして-1620年頃?-現在の地に移転鎮座され、今日に至っている。
当神社は江戸時代まで「勅願所玉敷神社、久伊豆大明神」と称し、旧埼玉郡(現南北両埼玉郡)の総鎮守であり、騎西領四八箇村の氏神でもあって、広い地域の住民から「騎西の明神様」の名で親しまれ、深い信仰を受けていた。このことから、各地に久伊豆社と称する御分霊社が数多く建立されることともなった。なお、現在の社殿は本殿と幣殿が文化十三年(1816)の建築であり、その外周を飾る彫刻は当時、江戸三名工の一人と言われた五代目後藤茂右衛門の作である。また、拝殿は明治三十一年(1898)の修築に成るものである。




