鷲宮神社(埼玉県鷲宮町)

神社名:鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)
祭 神:天穂日命 武夷鳥命 大己貴命 外合祀神9柱
鎮座地:埼玉県北葛飾郡鷲宮町鷲宮1-6-1
御朱印:あり
由緒書:あり
駐車場:神社左側に大型駐車場

-由緒-
当社は御祭神 武蔵国造の遠祖天穂日命 武夷鳥命 大己貴命 外合祀神9柱を奉神 出雲族の草創に関わる関東最古の大社にして景行天皇の御字日本武尊の造営次いで武蔵国造の司祭造営中世以降関東の総社また関東鎮護の神として武将の尊崇厚く藤原秀郷 源義家 鎌倉時代には建久四年(1193)十一月源頼朝の神馬奉献 社殿造営 建長三年(1251)四月北条時頼の神楽奉納 正応五年(1292)北条貞時の社殿造営 応安五年(1372)小山義政の社殿修復などが古文書に見えます。
室町時代に至り足利氏古河公方などの保護を受け天正十九年(1591)徳川家康から四百石の朱印地を与えられました。
したがってこれらゆかりのある文化財が数多く所蔵され国指定 県指定となっているものが多くあります。

鷲宮町役場の西、鷲宮駅からも近いところに鎮座している。
駐車場は神社左側にある。
今回は珍しく駅から歩いて参拝することにした。
普段、車での生活に慣れている私にとっては結構な距離だった。

大きな鳥居を潜ると広い境内が広がる。

参道左側にある堀内遺跡では、縄文時代の住居跡や土器などが沢山発掘されている。
大昔からここに神を祀っていたのだろう。
歴史ある神社には遺跡がある場合が多い。

参道右側には諏訪神社。
その隣には孔雀小屋があった。

参道左側に久伊豆神社。
神池にも祠があったが、社務所で聞き忘れてしまった。
たぶん厳島神社か水神社なんだろう。

社殿は横向きになっている。
拝殿の正面は神楽殿。
神楽の奉納がよく神様にみえるように拝殿の前にあるのだろうか。
神楽殿の隣には社務所。

神楽の奉納は一月一日の歳旦祭、二月十四日の年越祭、四月十日の春季祭、七月三十一日の夏越祭、十月十日の秋季祭、十二月初酉ノ日の大酉祭。
土師一流催馬楽神楽は国指定重要無形民俗文化財に指定されている。

本殿は驚くことに2つ並んでいる。
左側が別宮神崎神社、右側が鷲宮神社本殿。
神崎神社には大己貴命が祀られている。
思わず見惚れてしまう本殿は素晴らしい。

社殿の左奥には境内社が点々と並んでいる。
拝殿近くに姫宮神社。
その右には修繕などで御魂を遷す仮殿。

仮殿の右には八幡神社。
その右に鹿島神社。
粟島神社は本殿の裏側に鎮座している。
社務所で御朱印と由緒書を戴く。
鷲宮神社は各地に鎮座する鷲宮神社の本宮。
境内は大きく、気持ちがいい。
境内社を散策していたら一人の男性が木をジッと見つめていた。
すると急に木に飛びついた。
近寄らないように鹿島神社へ行くと、女性が熱心に何やらお願い事をしていた。
どうやらその二人はカップルのようで、若干やり方が違うようだが神社ヒーリングをやっているようだった。
だが、はたから見ると怪しすぎる・・・。
私も充分怪しいのだからあまり他の人のことは言えないが。
関東の神社をもっと広めよう♪
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[埼玉県]鷲宮町の参拝神社 トラックバック:0 コメント:4 編集
鷲宮神社(埼玉県鷲宮町)のコメント
ご参考まで。[(林)羅山詩集]、巻第六 紀行六「癸巳日光紀行」(1653年旅)
「幸手の辺半里ばかり鷲の宮有り、古来の霊社なり、われその名を聞きその社主を知るといえども、路の迂なるをもっての故に往かず、焉われかつてその縁起を見るに十巻ばかり云ること有り、有間王子良岑安世(註)ここに来て神と為す云々、その本地釈迦也云々、室の八州の事ここに起こる、かつ富士山の神、奥津の神、その余処処この神と同体云々、あにただこれのみならんや、諸方の神縁比比皆しかり、奚ぞもって論ずる足らん哉、」
(註)良岑安世:よしみねのやすよ、785−830年
これより、この紀行が書かれた頃のこの神社の祭神が木花咲耶姫であり、以前の神が良岑安世であったことがわかります。これらの神は今は跡形もなく消えてしまいましたが。
良岑安世が祭神であった時代のこの神社の縁起譚ではないかと思われるものが、[慈元抄]にあります。
[慈元抄](1510年)
著者?
「問ひて曰く、歌ゆゑに幸にあひたる人ありや。答へて曰く、昔、有馬王子零(おち)ぶれたまひて、下野国まで下り給。其の国に五万長者とて富人あり。其に立寄らせ玉ひて奉公すべき由を宣ぶ。長者置き奉る。或時酒宴の半ばに巡の舞ありて皆舞けり。彼若殿原も舞べしと長者云ければ、王子やがて立ちて歌をよみ玉ふ。
<いなむしろ川そひ柳行く水に流おれふしそのねはうせず>
と詠じて舞給ひければ、長者只人にあらずとて、座敷を立て御手を引きて上座におき奉りけるとなむ。其比(そのころ)長者独(ひとり)の娘を持たり。かねては常陸の国司に参らすべきよし約束有りけるも、彼の王子忍び逢い給ひて、程なく懐妊有ければ、国司より催促ありけれど、娘は早死したりとて、喪葬の儀式をなして野辺に送る。棺にはつなしと云魚を入て焼きて烟を立つ。彼の魚は焼く匂ひ人を焼くに似たればなり。其の心を読める。
<東路の室のやしまに立煙たが子のしろにつなし焼くらん>
子の代はりに焼くとよめり。それよりして、このしろと云ふとなむ。是歌故に王子も幸に逢給ふ。」
この話は、この後”有馬皇子が武蔵国までやってきて鷲の宮の神になった。その本地は釈迦なり。”と続くのでしょう。[慈元抄]は鷲の宮の縁起譚の一部分だけ取り出してきて人生訓(?)にしたのでしょう。
林羅山が見たという十巻ばかりもあった縁起は、もうこの神社に残っていないのでしょうね。
2007年12月21日 室の八島保存会 URL 編集
縁起が10巻もあったのですね。歴史ある神社だから、何があってもそれほど不思議ではありませんが、有馬皇子が出てくるとは以外でした。
関東、それも下野まで来たんですね。
良岑安世は百済、有馬皇子は高句麗と考えれば、周辺神社の関連性もまた違った風に捉えることができて、中々興味深いところです。
またまた貴重な資料ありがとうございました。
2007年12月22日 かぐら URL 編集
すいません。ここに登場する有馬王子は有馬皇子(640−658年)ではありません。
平治の乱(1159年)に際して室の八島(この場合の室の八島とは下野国府の事です)に流された播磨の中将藤原成憲(成範、1135−1187年)から派生した架空の人物です。それで生没年を書きませんでした。
ということで有馬王子の登場する鷲の宮の縁起は、平治の乱より後に作られたものです。
2007年12月27日 室の八島保存会 URL 編集
有馬皇子違いでしたか。確かにちょっと無理があるのではと思いましたが。
でも慈元抄を読んでみたいですね。
現代語に訳されているものがあれば・・・ですが(笑)
2007年12月30日 かぐら URL 編集
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