二宮赤城神社(群馬県前橋市)

上野国延喜式内社:赤城神社 上野国二の宮
神社名:二宮赤城神社(にのみやあかぎじんじゃ)
祭 神:大己貴尊 豊城入彦命 他十五神
配 神:大山祇命 他八神
鎮座地:群馬県前橋市二之宮町886
御朱印:あり
由緒書:あり
駐車場:神社左側社務所前に数十台

-境内由緒案内板-
当社ハ、第十代崇神天皇ノ皇子「豊城入彦命」「大己貴尊」ヲ始メトシ、数柱ノ神々ヲ祭神トシ、第十一代垂仁天皇、第十二代景行天皇ノ時代ニ創建サレタト伝ヘラレル古社デアル。特ニ、古代豊城入彦命ヲ始トシタ毛野氏ノ子孫上毛野氏ト深イ縁ノアッタ社トモ伝ヘラレテイル。
平安朝初期ノ第五四代仁明天皇ノ承和六年(829)ニ従五位下ニ叙サレテ官社トナリ、続イテ昇叙ヲ経、第六〇代醍醐天皇ノ延長五年(927)ニ制定サレタ「延喜式」内、上野国十二社中ノ名神大社トサレタ。第六八代後一條天皇ノ長元々年(1028)頃ノ上野国ノ国司文書中ニ、正一位赤城大明神、上野国神名帳ニハ、上野国二宮赤城大明神ナドノ神位、神階ガ記録サレテイル古名社デアツタ。第七〇代後冷泉天皇ノ永承四年(1049)ニハ、日本全国ノ諸社中カラ五五社ガ選バレ、神仏習合ノ勅願神社トナリ、当社モソノ一社トシテ、社域内ニ造塔ノ折、心礎(根巻石)内ニ仏舎利(釋迦尊ノ骨片、現存)ガ奉納サレテイタノデアル。
鎌倉時代ニハ征夷大将軍源頼朝ノ崇敬ヲ受ケ、建久五年(1194)当社ナドノ修築ヲ、守護職安達盛長ニ命ジ、二宮太郎浅忠、岡部九内忠成ラガ修築ヲ奉行シタリ、百石ヲ寄進シタト云ウ記録モ見ラレル。戦国時代ニ小田原城主北條氏政ノ軍勢ニ依ッテ、数多クノ建物ハ打壊サレ、潰滅的被害ヲ受ケ、宝物類モ多ク失ナイ衰微シタ。天正十八年(1590)北條氏滅亡後、領主トシテ大胡城ヘ入城シタ牧野駿河守忠成、康成父子ヲ始メソノ後厩橋藩主トナツタ酒井氏歴代、江戸時代幕府ノ天領代官藩主松平氏歴代サラニ住民ニ篤ク尊崇サレテキタ。ソシテ赤城南麓地帯ノ関連神社ノ中心的役割ヲ果シテイタ。
-由緒書-
創建年代は不詳。社伝では人皇十一代、垂仁天皇の御字に創建されたと伝えられていますが、この地は赤城山南面で赤城信仰の上で絶好の地点(西側には荒砥川、東側には粕川が流れていて共に赤城山を水源としている)で、大室の二子古墳をはじめとして多くの古墳が存在し、上野国の名族「上毛野氏」の本拠地と推定されていることは従古より信仰と共に栄えた証であります。
赤城神社に関する文献の初見は「続日本後記」承和六年(839)で上野国無位赤城神に従五位下が奉授された記事があり、以後「三代実録」では四回にわたり赤城神の神位昇授が記され、「上野国交替実録帳」には正一位赤城明神社とあります。平安後期には全国に「一宮二宮」の格付けが行われはじめましたが、当社は上野国の二宮として(地名にもなり)現在に至っています。又、次のような諸話も有ります。
あるとき、赤城の神が絹機を織るのに、くだが不足したので思案の末、貫前の神は外国から来て機織りが上手であるから、持っているであろうと頼み、借りて織りあげた。そこでこのような技術をもった神が他国へ移ってはこまるので、赤城神社は一宮であったが、その地位を貫前神社に譲って二宮になったという話です。
つまり貫前の神は帰化人の神であったと見ることができます。それにひきかえ赤城の神は上野国の土地に以前から住んでいた人々が祭っていた神です。そして、この頃は少なくとも赤城神社の方が貫前神社よりも広く一般から信仰され、崇敬が厚かったことを物語っています。

前橋市の西、国道50号と17号が合わさる間に鎮座する。
駐車場は神社左側の社務所前に数十台停められそうだ。

朱塗りの一の鳥居から参道を歩くと、右側に梵鐘。
進むと左側に境内社、正面に神代橋という神橋が見えてくる。

神橋を渡ると、神門、右側には手水舎。
神門の右下には神の名前が入っている社日。
「天照皇大神・大己貴命・稲倉魂命・埴安媛命・少彦名命」の神名が彫られている。
赤城山から流れる水で田畑が憂う、そういった意味であるのか宮司さんに聞いたが、どういった経緯などの詳細はわからなかった。

神門を潜ると正面に拝殿。
左側には社務所と神輿倉、右側には舞台と神楽殿がある。
参拝を済まして、境内を散策することにした。

社殿の裏側へ周ると、立派な本殿を拝見できる。
古社の風格ある本殿だ。

本殿の裏側には境内社が本殿を囲うように並んでいた。
左側の境内社の端には文化財の宝塔。

途中まで境内社を数えたがわからなくなってしまった。
右側の端には秋葉神社。

社務所の前には西参道が通っていて、鳥居は天満宮の鳥居だそうだ。
天満宮は社殿の左側に鎮座している。

社殿の右側に鎮座しているのが末社日枝神社。
本殿後方右側の鳥居があるのは先ほどの秋葉神社。
宮司さんに聞くところ、末社は日枝神社で他は持ち込まれた神社だそうだ。
末社になっているけど境内社が本当は正しいそうだ。

社殿の左側に萱葺きの建物が建っている。
かつては十二天社といい、仏教で言う十二天を祭っていたところなのだが、神仏分離以降は神輿倉として使われているそうだ。

境内の右側には舞台とまだ新しい神楽殿が建てられている。
社務所は神輿倉と繋がっている。
宮司さんに御朱印と由緒書を戴いた。
宮司さんには赤城信仰のことを詳しく教えて戴いた。
赤城山から流れる水で土地が肥え、農作物が育ち、災害を防ぎ、生きるための水も得ることができる。
生活できるのは赤城山のお陰という赤城信仰。
なので分社は赤城山の水が流れる南側しかなく、北には殆どない。
赤城神社は赤城山山頂、三夜沢、二之宮と三社に分かれている。
ぜひとも参拝したい神社だ。
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