上之村神社(埼玉県熊谷市)

神社名:上之村神社(かみのむらじんじゃ)
祭 神:事代主命
鎮座地:埼玉県熊谷市上之16
駐車場:神社右側に十数台

-案内板由緒-
上之村神社は、古くは久伊豆神社と称し、室町時代、城主成田氏の崇敬が厚く、応永年間(1394〜1418)に成田家時が社殿を再建したと伝えられています。
江戸時代に入り、慶長九年(1604)に徳川家康から三十石の朱印地を与えられ、明治二年(1869)には本殿の構造は一間社流造で、屋根は銅板葺(もと茅葺)です。軒回りの蟇股・手挟などに十二支の彫刻が彫られていて、木割は雄大です。
雷電神社は上之村神社の摂社で、本殿の構造は蟇股の彫刻など一部を除き、上之村神社とほとんど同じです。木割は上之村神社に比べて繊細で、規模もやや小さなつくりです。
社務所に保存されている旧本殿の扉には、「観音(梵字)奉修造雷電宮御宝前戸扉大壇那藤原朝臣長泰 武州崎西郡忍保宮山之内□年戊午五月吉日願主□」という銘文が記されています。戊午の年は永禄元年(1558)と推定され、この年に忍城主成田長泰が、雷電神社の内陣の扉を修理し寄進したことが考えられます。
指定名称は歴史的な背景から考えて雷電神社となっていますが、現在は、大雷神社と称されています。
両本殿の建築年代については、上之村神社本殿は、江戸時代初期と推定され、雷電神社本殿は彫刻類の絵の様式から、それよりやや古いと推定されています。
両本殿とも建築当初の姿をよく残し、桃山末期から江戸初期の建築様式を伝える貴重な建造物です。
-社前の堤-
応永年中(1394-1428)成田郷の領主成田家時が従者と館の東にある森の小祠の前を芦毛の馬に乗って通った時、何に驚いたか馬がハネ上り家時は落馬してしまった。何んの神様の祟りかと、附近の老人に聞いてみると、この社は久伊豆神社と雷電権現で、この神様は芦毛の馬に乗ることから、神前を芦毛の馬に乗って通る者は必ず神罰を蒙る伝えがあり、そのためだったという。
家時はこの神威に驚き乗馬の芦毛を神馬として奉納以来当社を崇敬し直接神前を通るのは勿体ないとこの堤を築かせたという。

国道17号線の上之(雷電神社)交差点から入ったところに鎮座する。
駐車場は神社右側にある。
上之村神社の読みは「うえのむら」と全国神社名鑑などにあるが、氏子の方に聞くと「かみのむら」だそうだ。
地名も「かみの」なので「かみのむら」とした。
社前の堤を過ぎると、味のある江戸時代の両部鳥居。

鳥居の手前には愛嬌のある狛犬が佇んでいる。

鳥居を潜ると参道は菊花大会が行われていた。
様々な菊が参道を飾っている。

参道の左側には神楽殿。
右側には手水舎がある。

少し参道を進むと立派な神門が見えてきた。

中には大きな絵馬が掲げられている。
昔の上之村神社の絵なのだろうか。

神門のところに賽銭箱があり、その先は祝詞殿、そして本殿となっている。
神門が拝殿を兼ねているようだ。

社殿の右側には諏訪神社。
その奥には境内社が並んでいる。

社殿の左側には夷神社・荒神社・事任神社・天神社・住吉神社と五社が祀られた社。
隣には神輿倉があった。

本殿の周りは囲われているが、覆われてはいないので良く観ることができる。

上之村神社の左側にはかつての雷電神社である摂社大雷神社。
祭神は大雷神。
境内はのんびりとしていて、居心地がとても良い。
社殿も美しく、ゆっくりしていきたいところ。
社務所は参道右側にある。
由緒書は神門のところに置いてあるそうだが、ちょうど在庫切れだったようだ。
宮司さんが留守だったので御朱印は戴けなかった。
また参拝したときにでも戴こう。
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