大國神社(群馬県伊勢崎市)

上野国延喜式内社:大國神社
神社名:大國神社(おおくにじんじゃ)
祭 神:大国主命
配 神:日葉酢媛命 淳葉田瓊入媛命 真砥野姫命 薊瓊入媛命 竹野媛命 罔象女命 素盞鳴命
鎮座地:群馬県伊勢崎市境下渕名2827
駐車場:神社右側県道沿いに数台

-案内板由緒-
延喜式神名帳に上野国大国神社あり上野国神社名帳に従一位大国神社とあるは即ちこの社である縁記に曰く人皇第十一代垂仁天皇の九年庚子四月より風雨順ならず、大旱打続いて蓄斃死するもの数を知らず天皇深く之を憂ひ給い諸国の神明に奉幣せられ東国には百済車臨遣はされて車臨この地に来り老松の樹下に宿る之れ即ち御手洗の亀甲松であった偶々明旦前池に白頭翁の手洗ふを見たので問ふた叟は何人ぞと翁答いで曰く吾は大国主の命である。汝は誰だと車臨容を正して吾は天皇の勅を奉じて風雨順時疫病平癒の奉幣使百済車臨である願くは国家の為に大難を救助し給へと翁唯々と答ふ言下に雲霧咫尺を辨せず翁の姿は消えて影もなし須叟にして風巽より起り、甘雨澎湃として至り前地忽にして淵となった。因って此の郷を渕名と呼ぶ様になり、これから草木は蘇生し悪疫悉く息み五穀豊饒土蒼生安穏となり天皇深く車臨を賞して左臣の位を授け大国神社を此の処に祀らしめ此の地を賜ったと云ふ。仝年十五年丙午の年九月丹波国穴太郷より五媛の宮を奉遷して合祀した故に古より当社を五護宮又は五后宮とも書き第五姫大明神とも称した此時第五媛の神輿に供奉した舎人に松宮内 大須賀左内 生形権真人 石井田右内の四人があり、松宮内の子孫代々当社の祀宮として明治に至ったと伝へられて居る。後称徳天皇の神護景雲元年従五位上佐位采女勅を奉して上毛に下り社殿を修造し国造の神として、渕名荘三十六郷の總鎮守として尊崇殊に篤かった。文化元年甲子現在の社殿を改築し、明治七年熊谷縣管下北方十六区佐位郡波両郡四十二ヶ村の郷社に列し仝四十二年二月神饌幣帛料供進社に指定されたのである。世界大戦後は、祭典を止められ神社の財産も開放となったが由緒ある神社で、氏子を始め、四隣からの崇敬は目を追ふて古にかへりつゝある境内は貮千四百七十六坪地は天然の丘陵に位置し、近くは太田の金山遠くは常陸の筑葉山と相対し遥かに西南を望めば上武の連峯は雲烟模糊の間に縹沙として遠近の風光を収めて居る云え。社前は延徳二年庚戌四月十六日本願法名清本秀行刻せる石浄手鉢一基あり、元御手洗の社前より移したものといふ。
-伊勢崎佐波の神社誌由緒-
延喜式神名帳に「上野国大國神社」、上野国神名帳に「従一位大國神社」と記されるのが当社である。縁起によれば、第十一代垂仁天皇の九年(約ニ千年程前)四月より天候不順で大干魃が続いたために、疫病が流行り人蓄共に大半が死亡したという。これを深く憂い給いた天皇は、諸国の名神に祈雨のため奉幣し、東国には奉幣使として百済の車臨を遣わした。垂仁天皇十一年九月、その車臨が当地に来て老松の樹下に一夜の宿をとった。(これが御手洗亀甲松である)翌朝、前の池で手を洗う白髪頭の翁を見つけ名を尋ねると、「吾は大国主命なり。」と答えた。それを聞いた車臨は、「私は疫病平癒と降雨祈願のために、天皇の勅を奉じて遣わされた奉幣使です。どうか国家の大難をお救いください。」と嘆願した。翁は「よし、よし。」と答えるやいなや、その姿は立ち消え、しばらくすると巽(東南)の方角から風が吹き始め、雨が降り始めた。この降雨のおかげで草木は蘇生して五穀豊穣となり、疫病もおさまった。天皇は車臨を賞して左大臣の位を授けると共に、当地を下賜して大国主命を奉斎せしめた。同十五年九月、丹波国穴太郷より五媛の宮を奉遷して配祀神とした。その後、称徳天皇の御代の神護景雲元年(767)、勅を奉じて当地に来た従五位上佐位うぬ女が、大国主命を国の造神と號し、渕名荘三十六郷の総鎮守として当社の社殿を修造した。光格天皇の文化元年(1804)現在の社殿に改築し、明治七年には熊谷県北第十六第区の佐位・那波両郡四十二ヶ村の郷社に列せられた。さらに、同四十年三月二十五日、無格社御手洗神社、八坂神社を合祀して今日に至る。

伊勢崎市役所の東、国道17号線と県道が交わる旧境町に鎮座する。
駐車場は県道側道路沿いに専用駐車場があり、数台停められることができる。
駐車場に車を停めて、一の鳥居へと歩く。
時期的に紅葉も終わり、木々の葉は冬使用へと移行しつつあった。

参道を歩くとちょっとした広場。
ここに神社の案内板がある。
先へと進むと両部鳥居の三の鳥居。

拝殿で参拝。
お寺のように大きな拝殿で、圧倒的。
通常の拝殿よりも明らかに高さがある。

拝殿から回り込むと本殿。
曇っていたのだが光が入ってしまって撮影は失敗している。

本殿の真裏には大国主命と書かれた石祠。
この石祠が大國神社の重要なポイントなのだろう。


大国主命の石祠の左右には数多くの境内社が並んでいる。
大国主命の石祠を挟むように左に地神神社、右に牛頭天王宮が鎮座。
牛頭天王宮の右側には八幡神社・摩利支天宮・疱瘡神社・少彦名神社・西宮神社・弥都波能女神が並んでいる。
地神神社の左側には八坂神社・諏訪神社・住吉神社・稲荷神社・多賀神社が鎮座。

境内には他にも境内社が鎮座している。
参道右側の手水舎の後ろに浅間神社。
浅間神社の裏側は庚申塔があった。

同じく参道右側に八坂神社。
参道左側には渕名天満宮が鎮座している。

手水舎の左側には「御手洗の石燈籠」と呼ばれる石幢。
合祀した御手洗神社から移設したものだそうだ。
社務所は参道の右側。
戸は閉じられていて人の気配はない。
延喜式内社なので御朱印を戴きたかったが、どこの神社が兼務しているのかわからなかった。
これだけの歴史があり、境内も広く、延喜式内社であり、大国神社は上野国の五ノ宮の論社でもあるのに宮司さんが在職していないのは勿体無いという感じだ。
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[群馬県]伊勢崎市の参拝神社 トラックバック:0 コメント:7 編集
大國神社(群馬県伊勢崎市)のコメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます2006年03月10日 編集
本日、冠稲荷神社に行く途中に同社駐車場にクルマが十数台止まっているのを目撃。急いで戻り、聞けば「夏祭り(祇園祭)です」とのこと。ラッキー!(内心)「ご朱印は頂けますか?」と聞いてみると、「う〜ん・・・、いいよ」とのご返事。早速、ご朱印帳を差し出すと「あ、自分で書いてね。筆とハンコここに置とくから」。「エーッ! 自分で書くんですかぁ!? 宮司さん居られるんでしょう?」。「そうだよ。ウチは以前からそう言うことになってる」(「う〜ん・・・」の意味はこういうコトか?)。しぶしぶ”奉拝”と”平成十八年七月三十日”と書くも、立って書いてるので筆が落ち着かない。仕方ないので「すみません。やっぱり書いてもらえますか?」と切り出すと、「仕方ないなぁ。じゃ、書くよ。下手だけど良いかい?」。「下手だなんて」と言いつつ、(内心)「あぁ、良かった」と一安心。私、習字下手なんですよ(笑)。”上野國十二社 大國神社”と書いてもらい印を押す(因みに、同社のご朱印はゴム印でした)。ここで情報を幾つか(氏子総代さんとの話を掻い摘んで)。
同社のご朱印を頂けるのは何らかの祭りがある時、社務所を開けている時だけ(祭事の日時は電話で確認のこと)。自分で書くことを覚悟する(笑。若しくは押印のみ)。なお、本ページ最後の画像で玄関の向かって左側が授与所、右側が参集所になっている(画像では、両方とも雨戸が閉まっている)。大國神社の宮司は伊与久雷電神社を兼務している(以前、雷電神社でご朱印を頂いたのだが、この時書いてくれたのは宮司ではなく氏子総代とのこと。社務所に住み込みで宮守をされているらしい)。
こんなところです。ご朱印12社コンプリートまで、あと2社!
2006年07月31日 赤城おろし URL 編集
>赤城おろしさん大國神社の御朱印!!いいですねー。
私も戴きたいところです。
雷電神社の宮司さんが兼務しているのは知っていましたが、中々条件が厳しいですね。
あと二社ってどこの神社なんでしょうか?
倭文神社と美和神社辺りかな?
2006年07月31日 かぐら URL 編集
> 雷電神社の宮司さんが兼務しているのは知っていましたが、中々条件が厳しいですね。逆です。大國神社の宮司さんが雷電神社を兼務しています。
> あと二社ってどこの神社なんでしょうか?
> 倭文神社と美和神社辺りかな?
火雷神社と美和神社です。両社とも担当の方が不在で頂けませんでした。でも、条件は大國神社より易しいようなので「楽勝」(?)です。
2006年08月04日 赤城おろし URL 編集
>赤城おろしさん大國神社の宮司さんが雷電神社を兼務しているのですね。
それにしても前々から思ったのですが、赤城おろしさんはどうやって、どこの神社が本務社で兼務神社がどこなのかを調べているのでしょうか?
火雷神社と美和神社ですか、 火雷神社は玉村八幡宮から氏子総代に連絡してもらう、美和神社は桐生天満宮で字を書いてもらって美和神社社務所で御朱印を捺してもらうですね。
倭文神社はどこで戴くのでしょう?宮子神社かな?
2006年08月04日 かぐら URL 編集
> それにしても前々から思ったのですが、赤城おろしさんはどうやって、どこの神社が本務社で兼務神社がどこなのかを調べている> のでしょうか?
私は知りませんし、調べたこともありません。
私の情報は全て現地、担当の方との会話から得られたものばかりです。私、何せお喋り好きなものですから、老若男女どんな人ともお話します。ま、こんなんだから巫女さんとも気軽に話せるのかも知れません。
> 倭文神社はどこで戴くのでしょう?宮子神社かな?
現地に行くと分かりますが、神社から100mほど離れた所に担当の氏子の方が住んでおられます。その場所と連絡先を書いた紙が拝殿前に貼ってあります。その方との会話で「ご朱印は社務所で頂くのだから、張り紙は社務所にしておいた方が良いのではないでしょうか?」 また「近くに公衆電話が有る訳でも無いし、今は携帯電話を利用する人が殆どだろうから連絡先には市外局番を付け足しておいた方が親切かな?」と提案しておいたので、もしかしたら今は対応済みになっているかも知れません。
ところで、倭文神社のご朱印の頂き方には特徴がありまして、持参したご朱印帳に筆書き押印して下さるのはどこの神社とも同じなんですが、同じ内容(奉拝、社名、押印、年月日)を薄紙にも書いた上、初穂金額を記入。その薄紙が渡され自分の住所と氏名を書き入れるのです。その紙は永代(?)神社に保管されるそうです。字が下手な自分にとって「このヘタクソな筆書きが永代残されるのはちょっとなぁ…」って思います。
「倭文神社にご朱印を頂きに行く時は習字の練習をして行きましょう!」(笑)
2006年08月04日 赤城おろし URL 編集
>赤城おろしさんやはり現地で会話での情報は大きいですね。
倭文神社の御朱印・・・同じものを書くのですかぁ。
面白い慣わしですね。
私も上野国式内社の御朱印を集めてみようかなぁ。
2006年08月07日 かぐら URL 編集
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