伊与久雷電神社(群馬県伊勢崎市)
神社名:雷電神社(らいでんじんじゃ)
祭 神:大雷命
配 神:高於加美命 火産霊命 罔象女命 健御名方命 天照大神 保食命 倉稲魂命 菅原道真命 誉田別命 櫛御気野命 最上神 大物主命 素盞鳴命 日本武命
鎮座地:群馬県伊勢崎市境伊与久3581
御朱印:あり(管理人在中時)
駐車場:あり
-雷電神社 社務所案内由緒-
当社は順徳天皇の建保六年(1215)三月二十五日に、赤石城主(伊勢崎)三浦之介義澄が創建したと伝えられる。上野国神名帳に「従四位上高於神明神」と記されるのが当社である。後醍醐天皇の元弘三年(1333)三月、新田三衛門佐義貞が鎌倉追討の際に社殿を修理し、戦勝祈願祭を行った。正親町天皇の永禄三年(1560)には、赤石左衛門尉・同又次郎の領有となるや領土の安全を祈り、祭供料と神領を寄進した。明正天皇の寛永十四年(1637)、伊勢崎城主河内守忠行は社殿を修覆し祭米を奉り、霊元天皇の延宝九年(1681)には酒井下野守忠寛が領主となるや社殿を修理した。また後桜町天皇の明和四年(1767)にいたり、酒井駿河守忠温が社殿を修覆して祈雨の祭典を行った。このように江戸時代にあっては領主酒井家の崇敬とくに篤く、累世修理や祭米・奉幣を得てきたが、明治維新後は郷土の鎮守神として氏子の尊崇するところとなり、明治四年には村社に列せられ、同四十年には境内諸末社を合祀して今日に至る。
-雷電神社 佐波郡神社誌由緒-
建保三年赤石城主三浦之介義澄の創建。新田義貞社殿を修繕し戦勝祈願を行ない代々崇敬厚く、永禄三年赤石又次郎領土の安全を祈り、祭供料・神領を寄進。のち代々の領主社殿を修理し祈雨の祭典を行い奉幣があった。明治以後郷土の氏神として氏子の崇敬厚く、雷災除の神として信仰が厚い。
-伊与久雷電神社 参拝記-
雷電神社は群馬県伊勢崎市、伊勢崎市役所から東の旧境町伊与久に鎮座する。
駐車場は神社右側に十台くらい。
上野国神名帳に記載されている古社だが、創建されてすぐに記載されるのはちょっと考え物なので、創建年代よりも古くから祀っていたのだろう。
古墳の上に鎮座している神社は大抵そんな感じだ。
境内の参道はコンクリートで舗装されている。
中央には神木。
参道左側には神楽殿がある。
拝殿へ向かう石段のところには狛犬。
見た感じ古そうだ。
石段を登ったところにも狛犬。
こちらは新しいようだ。
拝殿で参拝。
拝殿前はやや狭く、拝殿全体を写そうとすると石段を下ってしまい無理のようだ。
社殿の右側には英霊社、その右側に境内社。
社殿の左側には石室があり、覗くと穴が開いていて社殿下に続いているようだ。
元々前方後円墳だったそうで、雷電神社周辺は古墳群。
今は古墳の殆ど残っていないそうだ。
雷電神社がその古墳群の中心として考えて良さそうだ。
社殿の右側から周ると本殿。
社殿の右側には境内社がズラリと並んで鎮座している。
社殿から神社西側に下る道があったので進むと、森になっていてその先には裏参道の両部鳥居。
社務所は神社右側の駐車場のところにある。
残念ながら不在だった。
御用のある方は森院までと書いてあったがその森院がわからなかった。
社務所には神社の案内が硝子越しにあり、また神輿も飾られていた。
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[群馬県]伊勢崎市の参拝神社 トラックバック:0 コメント:1 編集
伊与久雷電神社(群馬県伊勢崎市)のコメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます2006年04月23日 編集
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