世良田東照宮(群馬県太田市)

神社名:世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)
祭 神:徳川家康公
配 神:菅原道真公 倉稲魂命 須佐之男命 伊弉冉命 火産霊命 大穴牟遅命 誉田別命 建御名方神 豊城入彦神
鎮座地:群馬県太田市世良田町3119-1
御朱印:あり
由緒書:あり
駐車場:あり
世良田東照宮公式サイト

-世良田東照宮 案内板-
元和二年(1616)徳川家康は駿府(静岡市)で七十五年の生涯を閉じた。遺命により、遺体は一旦駿府郊外の久能山に葬られ、翌年下野国日光に改葬された。それより二十年の後、社殿は三代家光によって全面的に改築され、今日の東照宮が完成した。当時日光輪王寺と長楽寺の住職を兼ねていた天海は、旧社殿の一部を長楽寺元境内に移築して東照宮を勧請した。当地が徳川氏発祥の地であり、当寺が徳川義季開基とする寺だからである。幕府は、長楽寺をその別当寺としてその管理や祭祀に当らせ、二百石の社領を与え、その社殿の修理や祭祀の費用は幕府の財政によって賄われることになった。桁行五間・梁間三間の拝殿は、日光奥社の拝殿を移したものである。家康の最初の墓標として建てられた多宝塔もここに移され、本地堂(俗に塔の薬師)として、明治初年までその豪華な姿をとどめていた。
東照宮の鎮座により地元世良田の住民はもとより、近隣十数か村の住民は、東照宮の火の番を奉仕することによって道中取郷を免除されたり、幕府によって開削された神領用水の利用を許されたり、種々の恩典に浴することができた。
寛永二十一年(1644)に遷宮式が行われた。
-世良田東照宮 由緒書-
寛永二十一年(1644)、三代将軍徳川家光公は、世良田が徳川氏の先祖の地ということから、日光東照宮古宮(元和年間造営の奥宮)を移築し、家康公をお祀りしました。奉斎にあたり家光公から御神領二百石が寄進され、以後、幕府の手厚い保護を受け、徳川家代々礼敬を尽くされました。東照宮の御鎮座は文化・経済の発展を助長し、世に「お江戸見たけりゃ世良田へござれ・・・」と謡われました。
世良田東照宮は群馬県太田市、国道354号線から南に入った世良田町に鎮座する。
駐車場は神社入り口右側に数台。
周辺はお寺や歴史資料館があり、探せば他にも停められそうだ。
境内入り口は鳥居でなく門。

門を潜ると上番所がある。
一人で来たのでお役人から顔は出さない。
いや、一人でなくても出さない。
その右側には手水舎。

境内は館の中に東照宮が鎮座しているような感じになっている。
参拝時は雨が降りそうな曇り。

鳥居の少し先に賽銭箱があり、そこで参拝。
日光東照宮のお宮だけあって彫刻は素晴らしいものがある。

社務所で拝観料を納めるともっと近くに行くことが出来る。
拝殿の中を覗くと金の狛犬。
日光東照宮の神門にいた金の狛犬と形はほぼ同じだが、こちらの方が小さい。

拝殿の前には迫力のある大鉄燈籠。
国指定重要文化財になっている。
宝物館は社務所の左側。
重要文化財の太刀や三十六枚の歌仙図の他に神饌道具などが展示されている。

拝観料を納めて拝殿の先に進む。
拝殿の裏側には扉がつけられていた。

唐門の中に入ることもできる。
本殿は拝殿同様に国指定重要文化財。
本殿の左右には左大臣と右大臣が彫られていた。
ひょっとして秀吉公と頼朝公かと思ったが違ったようだ。
本殿の彫刻も素晴らしく、中には家康公の木像が安置されているらしい。

社殿の左側には稲荷神社が鎮座している。
稲荷神社へ向かう途中、雨が激しく降り近くへは行けなかった。
傘を持っていなかったので。
門の右側には車祓え所。
さらに右へ行くと社務所の裏側に日吉社と赤城社が鎮座している。

社務所で御朱印と由緒書を戴く。
宮司さんと雑談をしていたら再び雨が激しく降り始めた。
他の参拝者も雨宿り。
小降りになったところで引き上げる。
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