大神神社(栃木県栃木市)
下野国延喜式内社:大神社 下野国惣社
神社名:大神神社(おおみわじんじゃ)
祭 神:倭大物主櫛瓺玉命
鎮座地:栃木県栃木市惣社町477
御朱印:あり(太平山神社にて)
由緒書:あり
駐車場:社務所前とその向かいにあり
-大神神社 由緒書-
第十代崇神天皇の長子豊城入彦命が使命をうけて東国治定の時、天皇の崇拝厚い大和三輪山の大三輪大神「奈良県桜井大神神社」を当地室八嶋の琵琶島に奉斎した。景行天皇は42年国々の府中に六所明神をまつり惣社六所明神と称した。これが後に室八嶋明神となった。
-大神神社 由緒書・沿革-
・延喜式神名帳に下野国十一社の制定により、当社がその筆頭にあげられた。(名神小、大神社)926年頃、惣社の制定があった。
・国府庁の制定にあたり国司の奉幣(神に供え物をし、祈ること)がありそれ以後も継続している。
・天慶2年平将門の乱により国庁附属の倉庫群も焼打に会い当社も被害を受けたが、藤原秀郷等の寄進をうけ再建し、社殿完荘にして麗美極まりなしと称される。
・天正13年、皆川広照と小田原北条氏直との戦争の時、皆川の敗兵、当社に籠ったので焼打に会い社殿、樓門、社宝すべて焼きつくされた。当時は戦国時代に当り国庁の力もなく、住民達は戦乱の為に生活が苦しく再建の動きもなく荒廃のままであった。(皆川正中録)
・寛永17年4月20日、三代将軍家光公が日光社参の折、当社に参拝され名社の荒廃を嘆き、社領30石と杉苗1万本の寄進を受けた。随行の諸大名、旗本等からも多額の奉納をうけて再建に当った。(徳川実記)
天和2年5月9日、現在の社殿が再建し住年にもどった。
・大正7年当社に約1000年に恒り社司として務められた野中家の子孫野中猪三郎氏が再び社司として来社され、その荒廃を嘆き私費を投じ、多くの寄付をうけて大正14年11月起工。大正15年4月15日現在の社殿が正遷座された。
・明治6年、郷社に指定される。
・明治40年5月5日、神幣帛料供進社に指定される。
・明治44年10月3日、県社に昇格。
・昭和18年には戦争の遂行の為、青銅鳥居三基、その他銅製品全て供出。
・昭和59年「憩の森事業」を導入。森林浴の場となり、遊歩道、吾妻屋等の完成をみる。
・昭和62年、63年頃には裏参道に朱燈籠34基、表参道に朱燈籠34基の寄進をうけて参道の照明完成。
・平成の改元記念事業として国府地区の氏子産子、特志寄付、国、県、市の文化財保護事業の補助等併せて5,700万円の予算にて室八嶋の大改修を始めて大きな改修作業が平成5年11月26日に完成した。
-大神神社 全国神社名鑑由緒-
崇神天皇十二年、国中の災害を防ぐため、天皇は豊城入彦をして大和三輪大物主神および相殿の神四座・新宮の神一座・新宮相殿の神一座を当社に合祀したという。仁和元年従四位下に叙せられた。天平二年兵火にあい鳥有に帰したが、徳川家光は酒井雅楽頭に命じて再建させた。これが現在の社殿で、明治十四年県社に昇格した。
-大神神社 室の八嶋-
奈良、平安期から歌枕の地として名高い。惣社明神、室の八嶋明神ともいう。下野惣社として知られたもので、祭政一致の時代、毎朝国司がおまいりをした神である。それは下野国中に分布する神々におまいりをするかわりに、この神社に奉幣する。いわゆる惣社の神であったゆえんである。
おおみわの神は、大和の三輪神で、大国主命の和魂、すなわち大物主命である。国司がその神を勧請し、惣社に相殿として祀ったものが、いつの間にか、この神の名を以っておおみわ神社と唱えられることになったものであろう。昔から煙の名所と詠まれ「室」という言葉と「八嶋」という組み合わせからさまざまな説が出されている。
-大神神社参拝記-
大神神社は栃木県栃木市。
栃木市と壬生町を繋ぐ県道沿い、旧道だと右側、新道だと左側に鎮座している。
持っていた地図が古かったので新道が載っていなく、道に迷ってしまった。
近くの住民何人かに聞いてやっとたどり着いた。
道に面しているとってもわかりやすい場所だった。
駐車場は神社左側の社務所前が広くて停めやすい。
参道を歩くと、何だかとっても気持ちが良かった。
参道はそれほど長くはない。
参道の終わりの左右に左門と右門がある。
参拝時、数日前に降った雪がまだ残っていた。
正面に拝殿、右側に神楽殿。
左側が室の八嶋で、その奥に社務所。
参道左門の裏側には祖霊社・大杉神社・福神神社。
室の八島は人工池になっている。
芭蕉の句碑は池の前にある。
中に入ってみると、心が落ち着く心地よい場所だった。
神橋も架かっている。
境内には他に、社務所前に藤棚がある。
拝殿の右側には神宮。
拝殿から奥へ周ると本殿。
右側よりも左側の方が良く見えるようだ。
社務所は何回か参拝に来ているが、いつも閉まっている。
意を決して近所で聞き込みをしてみたところ、宮司さんが亡くなったそうだ。
今後は太平山神社が兼務すると聞いたが未確認。
元宮司さんの家で大神神社のパンフレットを頂いた。
社務所の管理は、社務所向かいの氏子総代が受け持っているそうだ。
佇んでいるだけで癒されるような境内。
私に合う神社のようだ。
また参拝したいと思う。
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大神神社(栃木県栃木市)のコメント
大神神社のパンフレットを見たことがありませんが、このパンフレットにある由緒書の内容はちょっと変ですね。
大神神社は境内の池を室の八島であると案内していますが、
「当地室八嶋の琵琶島に奉斎した。」の室の八島は土地の名称なので
矛盾します。
この室八嶋は栃木市惣社町一帯の土地を指しているものと思われますが、
室八嶋と琵琶島の位置関係に疑問あり。
「第十代崇神天皇の長子豊城入彦命が使命をうけて東国治定の時、
天皇の崇拝厚い大和三輪山の大三輪大神を」は、
明治時代以降の大神神社の由緒の内容
「景行天皇は42年国々の府中に六所明神をまつり惣社六所明神と称した。」は、
江戸時代の惣社大明神、室の八島の大明神時代の由緒の内容で、
景行天皇の時代、全国に惣社は存在しなかった事がわかってから、
景行天皇云々は削除したと思いましたが。
にもかかわらず、江戸時代の由緒と明治時代以降の由緒が混在してます。
>室の八島保存会さん
詳しいご説明ありがとうございます。
由緒は私も調べなおしてみます。
パンフレットは氏子総代の方に連絡すると購入できます。
2006年04月07日 かぐら URL 編集
[神道大系]神社編25、上野・下野国 に1838年に編集された[室八嶋山諸書類調控帳]が御座います。かなりうさんくさい内容ですが、江戸末期の史料として、参考になろうかと存じます。http://homepage2.nifty.com/jun-kea/jinjya%20oomiwa.html
ここにある由緒が、内容から判断して、亡くなられた宮司の晩年の作品と思われます。 >室の八島保存会さん
神社の由緒は年代によって結構違うものが他の神社でも多いですよね。社格などが恐らく関係するのだと思いますが、それも一つの歴史ということと考えております。
大神神社は歴史も古いので色々説がありそうですね。そのうち参拝して案内板確認してきます。[室八嶋山諸書類調控帳]も図書館で探してみます。
2006年04月10日 かぐら URL 編集
>かぐら 様大神神社の歴史の概要をお調べになるのでしたら、[日本歴史地名大系 栃木県の地名]平凡社(1988年)がよろしいかと存じます。多くの公立図書館にあります。
なお、手前味噌になってしまいますが、私どものHP「歌枕室の八島の歴史の旅」の方が、理解しやすいかと思います。
ただし、室の八島調査の一環として大神神社を調べていますので、一箇所にまとめて書いてあるわけではありません。探すのがやっかいです。
内容的には、[奥の細道]室の八島の章の解説に書きました、江戸時代のこの神社が面白いと思います。かぐら様が驚くような内容です。
>室の八島保存会さん
じっくりと読んでみます。
大神神社は総社で、式内社(論社)でもある全国的に珍しい神社ですが謎も多いですね。
六所明神がどこの神社なのかとか。
教えていただいた本を図書館へ行った時に読んでみようかと思います。
2006年05月08日 かぐら URL 編集
>かぐら 様大神神社の-由緒書・沿革-を詳しくお調べ頂きまして有難う御座います。非常に参考になりました。
当会は栃木県外に拠点を構えており、まだ栃木市近郊の会員は獲得できておりません。また栃木市に調査に行くチャンスもなかなかありません。と言うことでかぐら様に調査していただいた内容は当方にとって非常に参考になりました。
足下の調査課題は、「江戸時代の惣社大明神・室の八島大明神から明治時代以降の大神神社にいつ替えられたのか?」です。替えられた時期は1890−1900年頃と推定していますが、それ以上の調査が進んでおりません。栃木市立図書館にでも行って調べればすぐ分かるのかもしれませんが、まだ一度も行ったことがありません。
>室の八島保存会さん
パンフレットに記載されていたのを追加引用しました。
他にも参考資料はいくつか持っているのですが、当神社掲載スタイルとしてはこれで充分説明や神社背景に足りると思っています。
さて、「江戸時代の惣社大明神・室の八島大明神から明治時代以降の大神神社にいつ替えられたのか?」というところですが、私の持っている資料には記載がありませんでした。
明確な区分が無い可能性が高いようにも思われます。
遠方で詳しく調べるには図書館でメール質問などで聞いたり、コピー郵送してもらうなんてのも手ですね。
2006年06月26日 かぐら URL 編集
栃木市惣社町に実家のある学生です。近所にあった大神神神社がそんな謎めいた神社とは知りませんでした。(小学校のときに少し習ったような気もしますが・・・)
室の八島に関する資料ですが、市の図書館にあるのが有力かと思われますが、他の候補として小学校にあるかもしれません。それは、昔は神社に隣接して学校が建てられていて、その学校は現在は2箇所に分かれ、国府北小学校と国府南小学校になったようなお話を自分が小学校5年生のときの創立120記念の行事でお話を聞いたような気が致します。なにせ、10年も前の話なので記憶があいまいですが、参考になれば幸いです。ちなみに、国府北小学校の卒業生です。校歌にも最初の出だしに「む〜ろのやしまの、か〜みすぎの〜」というように大神神神社が歌われています。
それと、大神神神社で行われる秋のお祭りは、毎年くるめ様として一人の少女が選ばれて祭りに参加します。くるめ様は、昔は生贄だったとして地元の人は自分の家の子をあまり出したがらないみたいですが、まだ続いているみたいです。その他に、春と冬の節分に催し物があります。訪れる際には合わせていくと楽しみが増えると思います。
8月6日に八島祭なるものがありまして、招待が来ているのですが、行くのは難しそうです。八島祭の詳細は自分も良く知らないのですが、年末に帰省したときに、お参りに行ったところ、俳句の募集がありまして、一句詠んだところ、選ばれたみたいです。行けば、関係者からいろいろと意見を聞けるかもしれないですね。
最後に、宮司さんが亡くなっていることに気づかないとは、元地元として恥ずかしい限りです。
2006年07月19日 noji URL 編集
すみません、どれも神が一個多い。大神神社です。2006年07月19日 noji URL 編集
>nojiさん貴重な情報ありがとうございました。
小学校ですか、創立120年というと神佛分離と何かしら関係あるのかもしれませんね。
くるめ様って行っていたのですね、もうやっていないのかと思っていました。
私もまだまだ研究中なので神事は今後調べていきたいと思っています。
宮司さんについては、近所で聞き込みしたところ「家はあっち」「入院した」という情報があり、大宮司さん(代々宮司を務めていた)のところで聞いたらお亡くなりになって太平山神社が管理するとお聞きしました。
情報が間違っていたら申し訳ないです。
やはり神事のときに参拝して詳しい話をお聞きするのが本にもない情報を得るコツですね。
2006年07月19日 かぐら URL 編集
そうですね、聞くのが一番かと思います。それを考えると、8月6日の八島祭には、ぜひ行きたいのですが…厳しいです。俳句奉納のために、中に入れる可能性が高く、奉納の後に講和が聞けるらしいです。これは又とないチャンス!!なのですが…。
大神神社のお祭りには何度も参加していますが、どんな真意があるのかは、知らずじまいでした。春は豊作を神に願う、秋は豊作を神に感謝する祭りでしょうか?
春は流鏑馬(現在行われているかは定かではありません、これまで馬に跨り流鏑馬を行っていた近所のおじいちゃんが去年の夏に亡くなりました。)が行われ、くるめ様が参加する秋はどういった舞なのかはわかりませんが神楽?も披露されます。個人的にその舞の音楽が好きで、それを聴きに行っているようなものでした。ちなみに、春は昼間の午後、秋は夜に行われます。
最後に、個人的には私以外の人がいないときの神社が好きです。特に、この神社は昼間も人気がなくて良いのですが、夜は更に神秘的です。敷地内に入るだけで癒されるような感じが致します。最近は夜のお参りも賽銭箱の前に立つと明かりがつくので大丈夫です。
2006年07月20日 noji URL 編集
>nojiさん流鏑馬は今も行われていますよ。
的に当たるかで豊作を占うのが一般的です。
私も誰もいない神社が好きで、特に早朝がお気に入りです。
時間があればくるめ様観てみたいところです。
2006年07月21日 かぐら URL 編集
>かぐら 様惣社大明神(室の八島大明神)から大神神社へいつ替わったのか、栃木県立図書館に調査相談しました。その結果、これこれの年に替わったという年はなさそうです。
おそらく、明治6年に郷社に指定された後、明治政府による社格制度、式内社重視の政策に対応するために、いつ頃からか下野惣社がみずから自社が式内社の大神神社であると主張し始めたのでしょう。そしてその後それが政府に認められ、明治40年の神幣帛料供進社指定、明治44年の県社に昇格に繋がったという事でしょう。
つまり大神神社に替わったのではなく、元々大神神社であったと認められたということなので、大神神社に替わった年などというものは資料にあがってこないのでしょう。
下野惣社は国家神道の廃止された戦後もあいかわらず大神神社を続けていますが、みずから大神神社であると言い出したので、いまさら惣社大明神(室の八島大明神)に戻すわけにはいかないのでしょう。
ところで栃木県立図書館に調査相談した直後から、なぜか商品宣伝と思われる迷惑メールが殺到しています。調査相談に際してこちらのメールアドレスを記入したことと関係あるのかと思って先方に問い合わせましたが、データが外部に漏れた様子はないとの回答でした。
>室の八島保存会さん
なるほど、いつから大神神社というわけでないのですね。
私は室の八島明神のところに大神神社の分霊を勧請して祀って、いつしか一緒になったのかと思っていました。
全国で総社が式内社というのは無いのでその辺は太平山神社と交えて研究する余地がありそうです。
私の場合、迷惑メールはアドレス公開しているので、毎日最低でも50通はスパムがきますよ。
2006年07月28日 かぐら URL 編集
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