スポンサーサイト
新しい記事を書く事で広告が消せます。
人気ブログランキングに参加しています。更新を頑張れるのでクリック応援お願いします。
関東の神社をもっと広めよう!上位になれば多くの人に神社を紹介できます
人気ブログランキング
役に立ったらブックマークしてくださいね
My Yahoo!に追加
livedoorReaderに追加
赤城神社-本宮-(群馬県前橋市)

上野国延喜式内社:赤城神社 上野国二の宮
神社名:赤城神社(あかぎじんじゃ)
祭 神:赤城神 大己貴命 豊城入彦命
鎮座地:群馬県前橋市三夜沢町114
御朱印:あり
由緒所:あり
駐車場:大型駐車場あり

-赤城神社【本宮】由緒書-
赤城神社の名が歴史書に見えはじめたのは、今から凡そ千百年余り前の仁明天皇の承和六年(839年)のことである。その時に従五位下の神位を授けられているので、それ以前に既に朝廷から祭祀を受けられ、官社となっていたのである。延喜式の神名帳では、名神、大社に列せられ、神位は次第に昇叙されて、九条家本延喜式裏文書には正一位と記してある。
このように古くから著名な神であったのは、古代の上毛野国(群馬県全体)を支配していた上毛野君という一族が祀っていたからである。上毛野君は豊城入彦命の子孫と伝えられていて、上毛野国の国造となり、東国をおさめ、蝦夷を同化させることを任務としていた。日本書紀に
崇神天皇は豊城、活目の二皇子の夢を占って、後嗣をきめようとされた。二皇子は体を清め、神に祈って夢を見た。兄の豊城命の夢は御諸山に登って東に向かって八たび槍を振り、八たび刀を振ったというのであり、弟の活目尊の夢は御諸山に登って縄を四方に張り粟を食う雀をおいはらったというのである。天皇は夢占いをして、兄は東国を治め、弟は天皇の位をつぐことをきめられた。豊城命は東国を治めることになり、上毛野君、下毛野君の始祖である。
という意味のことが記してあり、又、同書に、
景行天皇は豊城命の孫彦狭島王を東海道十五国の都督に任命された。ところが王は春日の穴昨邑というところで病死した。その時東国の人々は王が任地においでにならないことを悲しんで、王の屍をとって上野国に葬った。
とあり、次いで、
景行天皇は彦狭島王の子御諸別王に父の業を継いで、東国を治めしめられた。蝦夷の首領が降参して、東国は永く平和になり、御諸別王の子孫が後までも栄えている。
という意味のことも記している。
つまり上毛野君の氏族が東国を開拓して、東北地方へまで発展していたので、その基地である上毛野国に赤城神を祀ったもので、そこで平野にのぞんで、他の山々を後に従えたこの赤城山の神と、小沼から流れ出る粕川が灌漑に利用されたのでその農業の神とが、赤城神の起源と考えられる。
鎌倉時代になると、三代将軍源実朝の歌に
上野の勢多の赤城のからやしろ
やまとにいかであとをたれけむ
とあるように、将軍をはじめ武将たちが崇敬したばかりでなく、赤城神社は上野国の二宮とよばれて、一般の人々の信仰のまとになった。神道集という吉野時代に伝説などから作りあげられた物語の本には、
もと赤城神は一宮であったが、機を織っている時に、「くだ」が不足し、貫前神に借りて織りあげたので、織物が上手で、財持ちである貫前神に一宮をゆずり、自分は二宮になった。
ということが見えている。その頃は一宮の貫前神よりも二宮の赤城神の方が一般の信仰をあつめていたから、このような伝説が起ったのである。
神道集が作られた頃は、本地垂迹説によって、神と仏とが一つにして拝まれていたので、赤城神ははじめ小沼の神に虚空蔵、大沼の神に千手観音があてられ、吉野時代頃には地蔵が加わって三神とされた。小沼及び大沼の神は粕川の上流の前橋市粕川町室沢(旧勢多郡粕川村)字御殿(元三夜沢)に祀られ、後に粕川の上流の神社が現在の三夜沢の地に移り、西宮と呼ばれ、今までこの三夜沢にあった神社は東宮となり、江戸時代には東西両宮が並んでいた。このように一地に神社が移されたのは、戦国の世とよばれる頃であろう。
-赤城神社【本宮】案内板由緒-
赤城神社は東国開拓の神々が祀られている古来の名社である。
東国経営にあたった上毛野君の創祀以来 国司 武将が篤く崇敬し朝廷からも承和六年(839年)に従五位下を賜られ 元慶四年(880年)に従四位上にあげられ 延喜式には名神大社に列せられた 長元九年(1028年)頃には正一位に叙せられ 次いで 上野国の二宮とうやまれていた
赤城山は高く 美しく うしろに山々をひかえて 雄然と聳えている
山頂の小沼から出る粕川を始め各河川は麓の村々をひろくうるほしている その尊厳と恩恵とはみ山とよはれ親しまれ尊はれ上毛野君の昔から祀りつかれて来た
分社は群馬県下のみで七十八社その他を併せると三百余社に及ぶ昭和十九年(1944年)には国幣中社に昇格の内定があったが 終戦後は国土建設 開拓精神発揚のため 神威益々顕著である
人気ブログランキングに参加しています。更新を頑張れるのでクリック応援お願いします。


赤城神社-本宮-は前橋市の北、クローネンベルクや群馬フラワーパークから近い赤城山の中腹に鎮座する。
駐車場は神社左側に大型駐車場がある。
赤城神社-本宮-は、群馬県にある赤城山から南部方面へ分社が多い赤城神社の総社であり、山頂に赤城神社の元宮が鎮座し、里宮的な二宮赤城神社が前橋市二の宮に鎮座する。
参道には松並木があり、その中に一の鳥居があった。
しばらく進むと、惣門。
構造形式は高麗門で、八世紀中頃の建立と思われる。
惣門は群馬県重要文化財に指定されている。
参道の左側は県道になっていて、赤城山頂上まで続いている。
参道の長さを考えると、かつては物凄い規模だったことが伺える。

駐車場に車を停めると二の鳥居。
二の鳥居は赤城神社-本宮-境内の木で立てられていて、同じ大きさの木を探すのが大変な作業になるそうだ。

二の鳥居を潜ると左側に社務所。
右側には神池がある。
神池は近づいた瞬間に時を忘れてしまうような美しさと、何ともいえない清らかな空間になっている。


手水舎で手と口を清める。
赤城神社-本宮-の手水舎は神池の中にある。
なのですぐ下を鯉が優雅に泳いでいる。
鯉も人が近づくと餌を求めるガッツイタ鯉ではなく、可憐な品のある鯉だ。


参道正面は社殿へと続いている。
参道の左右には狛犬。
よくある型なのかと思ったが、意外とオリジナリティがある狛犬だった。

参道は石段が続くが、それほど急でもなく長くも無い。
大きなスギの木が多く、心地よい気分で登れる参道だ。


社務所の裏には穴があったので、恐らくここで御焚き上げするのだろう。
何気に近くの石に目をやると、何やら穴が空いた石があった。
その石から数メートル離れたところにも同じような穴の空いた石。
この石は何に使うのだろう?


参道を登っていくと、左側には由緒書にもある源実朝の句碑。
右側には古代文字が書かれている石碑がある。


拝殿で参拝。
社殿の左側には神楽殿がある。
この辺りも気持ちが良いのでしばらく佇む。
そのうちお宮参りの祈祷が始まりそうだったので、本殿側へと向かうことにした。


本殿の前にはスギの巨木があった。
この間隔でこれだけの巨木ということは、意図して植えたのであろう。
まるで門番のようなスギだ。


本殿は拝殿右側から少し登ると良く拝見できる。
彫刻や彩色は無さそうだが、とても美しく圧倒される。

本殿からさらに登ったところには境内社が鎮座している。
数を数えてみたが、途中でわからなくなったので断念。


社殿の左側の方にも境内社が点々と鎮座している。


社務所で宮司さんが祈祷が終わった後に御朱印を戴く。
宮司さんに「あれから(祈祷の前にご挨拶している)ずっと待っていらっしゃったのですか?」と聞かれたので、「元宮へ向かおうとしたら通行止めで通ることができなかったので境内で佇んでいました。」と答えた。
冬季期間は赤城神社-本宮-側から赤城神社-元宮-への道路が通行止めになっているので注意。
由緒書も戴き、赤城神社の歴史や分社についてなどを教わり、また境内へと再確認しに行く。
参道左側にはご神水があり、飲むことができる。
ポリタンクを持った人たちの行列に混じり順番を待つことにした。
お腹が弱いのであえて飲まなかったが、常連さんの話によると、このご神水で米を焚くと通常の水とは比べ物にならないほど美味しいく病気にもかかりにくいそうだ。
赤城神社-本宮-は赤城山山頂と富士山を直線で結んだレイライン上に鎮座している。
時間をたっぷり取って参拝したい神社だ。
- 関連記事
-
- 小出神社(群馬県前橋市)
- 前橋東照宮(群馬県前橋市)
- 今井神社(群馬県前橋市)
- 山王日枝神社(群馬県前橋市)
- 駒形神社(群馬県前橋市)
- 下小出赤城神社(群馬県前橋市)
- 赤城神社-本宮-(群馬県前橋市)
関東の神社をもっと広めよう!上位になれば多くの人に神社を紹介できます
人気ブログランキング
役に立ったらブックマークしてくださいね
My Yahoo!に追加
livedoorReaderに追加
赤城神社-本宮-(群馬県前橋市)のコメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます2008年05月07日 編集
ご近所さんの歴史に興味を持ち、神社探訪を始めました。最初は、興味半分だったのですが、神社を訪れると、なんとも心が休まるのです。
二之宮赤城神社は、面白い御神燈があると紹介されて訪ねました。
赤城神社は、数々ありますが、貴ページにて、初めて本宮と里宮及び元宮の関係がわかりました。
ありがとうございました。 和出さん、こんばんは。
二宮赤城神社の燈籠にある持ち上げている人々?は面白いですよね。
横浜の菊名神社では手水盤ですが我慢様って呼ばれていました。
赤城神社は数も多く、そして奥深いです。
東西に分かれていたことや本宮と二宮の神輿の神事、貫前や二荒山などとの神話、レイライン。
あ、私も日帰りで行ける範囲の神社なので、ご近所中心ですよ。
2008年06月25日 かぐら URL 編集
赤城神社の元宮は今のところ大洞(大沼々畔東側)とされていますが、真の元宮は小さな石祀で大沼々畔北側に在るらしい。
いつか探しに行こうと思ってます。
2008年06月26日 赤城おろし URL 編集
かぐら 様お返事、ありがとうございました。
勉強不足な質問で、スミマセンm(__)m
渋川市北橘町下箱田・木曾三社神社の参道には、神社の由来が立て看板に書いてあり、それなりに理解できました。
他の神社にも、部分的には由緒が書かれておりますが、貴HPのような高度な情報は手に入りません。
どのように収集されたのか、差し支えなければ、お教え頂きたいのですが? >赤城おろしさん
私も探しています(笑)
南側の神社は関係が深そうですが、まだ詳しく調べていないです。
>和出さん
高度な情報ですか。
でもこのブログは清書するためのメモブログだったり・・・。
もっと詳しく書きたい神社でも、清書のためにわざと書かなかったりしているのもありますよ。
資料は神社庁出版書籍、各市町村誌や郡誌、一般神社書籍、その他図書館閲覧資料、由緒書、宮司さんへの聞き込み、神社の近所での聞き込みといったところでしょうか。
後は文化財や天然記念物、風習や文化、戦国武将なども絡めて行くと、時代背景からその神社がどんな位置づけだったのかが見えてきます。
群馬県なら各市町村誌と上毛新聞社書籍だけでも結構揃いますよ。
でも詳しく調べるのは、めちゃくちゃ時間かかるので、あまりオススメはしません(笑)
木曽三社神社は有名な神社なので、資料は多いですね。
湧き水・戦国武将・長野の式内社を絡めて紹介すると内容も膨らんでいくのではないでしょうか。
ちなみに分社の木曽三柱神社は結構サラリと書かれています。
2008年06月26日 かぐら URL 編集
かぐら 様「聞き込み含め、公的資料、文化財、歴史的背景・・・を総合して考証せよ」とのアドバイス、有難う御座いました。
ふぅ・・・(>_<)
なるほど、半端な取り組みではないですね。
少しずつ情報を蓄積し、総合することを勉強していきます。
赤城おろし 様
貴重な情報、ありがとうございました
元宮、見つかりましたら、是非写真をUpして下さい。
私的には、滝沢不動堂の門前の名もない?お地蔵さんのやさしさに惹かれております。http://aaw66340.fc2web.com/rekisi003.html >和出さん
見方は色々ありますので、興味所をどこにするかで随分と違ってきますよ。
頑張ってくださいね。
>赤城おろしさん
しばらく赤城山へ行く予定は無いのですが、行った時は要チェック神社として配分時間を多めにしようかと思っています。
わかったら詳細つけて写真公開しますね。
2008年06月29日 かぐら URL 編集
この神社は、以前参拝してきました。桐生市にある『賀茂神社』も雰囲気がいい神社ですが、この神社もキリッとした空気につつまれ、いい感じな神社でした。 赤城神社に初めて参拝したとき、気持ちよくて数時間ボーっとしていました。
パワースポットと呼ぶのにに相応しい神社だと思います。
榛名・赤城・妙義はやっぱり凄いし、伊達にG-FIVEじゃないなーって思ったり。
2009年02月08日 かぐら URL 編集
今日、参拝してきました。寒くて寒くて・・・
授与所のカーテンは、閉まっていましたので、御朱印の授与はむりでした。 最近不在が多いですよね。
私も5回くらい行っても、全て不在でしたから要連絡が無難かな。
ただ神事で社務所が閉鎖されることもありますので注意です。
2009年12月20日 かぐら URL 編集
今日、赤城神社に参拝してきました。授与所は、開いてました。
早速御朱印を頂きました。
神職の方は、変わられたのですかね?もしくは、複数いらっしゃるのですかね。
一年半前に参拝したときに対応してくれた神職の方とは、雰囲気は違ったような気がしました。
2010年06月06日 まほろば URL 編集
御朱印頂けたようでよかったですね。確か登録されている神主さんの数は多かったと思います。
普段はいませんけど。
さすがに宮司さん交代とかまではわからないです・・・。
2010年06月07日 かぐら URL 編集
元宮赤城神社(大洞)の元社地分りました&行ってきました。大沼々畔や、地蔵岳の山頂ではなく中腹です。
登山家・トレッキング愛好家に聞いたって分らん筈ですわ。目印どころか、なぁ~んにも無い原っぱです。
口では説明し難いので、今度お会いした時にでも…。
元社地の後に本宮赤城神社(三夜沢)に行きました。宮司さんが居られたので御朱印を頂いてきました。上野國式内社も、もぅ3巡目なので”上野国 延喜式十二社巡拝”パンフレットに頂きました。11日はここが選挙の投票所になるとのことで、社務所もお休みだそうです。
あっ、あとクリビツな再会がありました。
某稲荷神社に居た巫女のYさん(ワタシ一番のお気に入り!)。現在、大洞赤城神社にお勤めです。
それから彼女、このブログ見てるそうですよ。
2010年07月11日 赤城おろし URL 編集
そこ私も調べて中腹にあるのを最近知りました。ただ明確な場所がわからないから、今度行ったら聞いてみようかなって。
某稲荷って巫女さんの育成所みたいな感じなのかな?
とにかく大洞赤城神社の参拝記をさっさと掲載しなきゃならんですなぁ。
神社と南にある遷座前のところは写真ありますので。
2010年07月12日 かぐら URL 編集
Yさん会いたさに、別件にかこつけてまた大洞赤城神社に行ってきました(笑)。先週撮った写真を神職さんに見て頂きました所、「ここに違いない」と確認してもらいました。
2010年07月20日 赤城おろし URL 編集
間違いないんですかー、ほー。大洞赤城神社は祭神が色々説あるようなので、本読んでいますが中々良い情報が見つからないです。
2010年07月22日 かぐら URL 編集
大洞赤城神社 旧社地跡(大沼々畔南)、湖水祭があった八月八日に前を通ったのですが、現在改修工事をしてます。下車せずクルマに乗ったままチラッと見ただけなので工事期間など確認しませんでしたが、かなり大掛かりな工事なようでした。
2014年09月04日 赤城おろし URL 編集
あ、大洞の方はまだアップしていませんでしたね。あの廃墟みたくなっていたところというと、お水取りとか末社が残っているからかな?どうするんでしょうね。
2014年09月04日 神楽 URL 編集
赤城神社-本宮-(群馬県前橋市)へのコメントの投稿 ※神社関係者ではありません!
赤城神社-本宮-(群馬県前橋市)のトラックバック
※トラックバックは言及自動リンクです。リンクを貼ってから送ってください。
赤城神社-本宮-(群馬県前橋市)へのトラックバックURL
http://kaguraden.blog11.fc2.com/tb.php/361-5f363de9
2007年03月08日 日本の自然を見つめる瞳
群馬県前橋市にある「三夜沢赤城神社」に参拝してきました。 旧県社になります。 群馬県前橋市の北部、旧宮城村に神社は鎮座していました。 以前の参拝日記⇒三夜沢赤城神社 ...2014年05月04日 神社仏閣史跡巡り