岡登霊神社(群馬県太田市)

神社名:岡登霊神社(おかのぼりりょうじんじゃ)
祭 神:岡上景能公
鎮座地:群馬県太田市大原町391
駐車場:境内に数台

-岡登霊神社案内板由緒-
代官岡登次郎兵兵衛景能公は 武州高柳村(埼玉県児玉町)に生まれた承応三年(1654)幕府代官に任用され 父景親に従い吾妻郡東村岡崎新田開発に榛名湖を源とする沼尾川より引水し多くの水田を拓いた。
大間々扇状地帯にある笠懸野は古渡良瀬川の河床であったため、いわゆる不毛の地であった、景能公は寛文九年(1669)笠懸野に赴任し鹿之川に陣屋を設けて管内を綿密に調査測量の上農民のために開発の許可を得た。
そして足尾町を起点とする銅山街道沿いに地区割を設け、久々字 桃頭 本町 大久保 山之神 六千石 権右衛門 溜池と不毛の土地2052町歩を開発し原八ヶ村を新設した。更にこの地に水を引くべく大間々地内の渡良瀬川右岸(蕪町)より岩盤を刳り抜いて取水口を設置し三俣分水により用水を西南に二分するなど難工事を重ね念願の笠懸野を潤す岡登用水を完成させたのである。開拓住民の安住は先づ敬神崇祖の精神をと大原神明宮をはじめ五社三寺を創建して民心の安定に心を盡くした。偉大な事蹟を重ねられた公は貞享四年十二月三日(1687)冤罪を被り自刃された 齢五十余才と伝えられている 遺骸は笠懸町国瑞寺に葬られその功績を認めらられ大正四年 従五位を贈られた。
地区村民は公の恩に報いるため、宝暦二年(1752)京都吉田神道家に神号下付の運動を行い「顕信霊神」の神号が下付され、ただちに本町村神明宮境内に社祠を建立「岡登霊社」とした。
時代は還り用水路再興の願いは明治五年許可され翌年完成した。
その後昭和三十一年から岡登用水の笠懸町 阿左美沼東貯水池に於て開催されている競艇の事業収益は周辺市町の財政を潤している。
景能公没後三百年、今尚 公の恩恵に浴しているのである。
追記
昭和四十九年十二月三日社殿改築と共に岡登景能公顕彰参百年祭を盛大に挙行、諸費用は総て桐生競艇関係諸団体の■金によって賄われたのである。境内は「岡登児童公園」として保存会に委託、会員により定期的に清掃作業が行われている。
元旦の「お焚き上げ」は年々参拝者が増え今では大行事となっている。

岡登霊神社は薮塚神明宮境内に鎮座している。
駐車場は境内に数台停められるスペースがある。

神明宮の境内を進むと参道が左右に分かれている。
左側へ行くと岡登霊神社が鎮座し、右側を進むと神明宮が鎮座している。

岡登霊神社の鳥居。
木製の鳥居で、その先は整備されていて綺麗になっている。

参道を進むと神門。
潜って左側には手水舎があった。
そういえば、神明宮に手水舎がなかったような・・・。

岡登霊神社の社殿で参拝する。
社殿に本殿や祝詞殿などはない。
銅燈籠が左右にあった。
岡登景能公も御自身が勧請した神明宮に、まさか自分が神として祀られるとは思ってもいなかったろう。
建設や土木関係に御利益がありそうだ。
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