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梅田日枝神社(群馬県桐生市)

神社名:日枝神社(ひえじんじゃ)
祭 神:大山咋命
相 殿:木花開耶姫神 猿田彦命
配 神:菅原道真公 月夜美命 大雷命 天御中主命 大物主命 大国主命
鎮座地:群馬県桐生市梅田町1-481
由緒書:あり(未確認)
駐車場:あり

-梅田日枝神社 桐生市史神社編由緒-
山田郡誌記載の「社伝由緒」によると次の通りである。
「勧請年月詳かならず。或はいう、延文五年の創立なりと云う。当家は桐生家の始祖桐生六郎忠利、治承四年足利又太郎に従い、宇治川先陣の功によりて当地を給り、入部の節かねて陣中の守護神として信仰厚かりし、近江国日吉神社の分霊を請いて祭祀す。是れ即ち当社の創始なり。其後六郎が末裔又六入道行阿国綱にいたり、観応元庚寅年要害の為め桐生檜テキ山城を築きし時、城中の守護神となし、神祠を建てて旗織二流を備え、神木として楠五本を献ず。これによって楠御殿山山王宮と称す。後延文五年国綱当社を檜テキ山の東方に遷し、大いにその面目を改む。国綱の孫三郎豊綱又当社を尊崇する事厚く、野州佐野より清蔵院と称する修験者を呼びよせ、社務並に神事に与らしめ桐生家の祈願所となす。是れより代々の城主相次いで崇敬厚く、天文年中大炊助祐綱の時に至り、領内七社の一として崇め奉れり。又永禄三年上杉謙信近衛竜山公を奉じて桐生城に入り、御屋形に御逗留の節、竜山公桐生の風光を賞して、八景の和歌を詠じて当社に奉献する等当時社運隆昌を極む。然るに元亀二年桐生家新田由良氏と水路を争い、天正元年三月十二日遂に由良氏の攻むる処となりて桐生氏玄に亡ぶ。この時当社は城下山王の木戸際に在りしをもって社頭俄に戦塵の巷と化せり。古記録、神宝等ことごとく兵火のためこれを失えり。是より社頭の荒廃甚だしく、後世山王の御林と称して僅かに小祠を存するのみなりしが、天和ニ年四月以降当所御給地となりし際、郷人協力して当社の再興を計り、旧社地に新殿を建て、又天正戦乱の節村内実相寺の境内に遷せしと云う。大神をも奉遷して上久方村五給の総鎮守と仰ぎ、やや神社の尊厳を復興せり。爾来元禄、宝永、享保と年次を追うて社殿の修理を加え、文政ニ年六月本殿、安政ニ年三月拝殿改築の功成りて維新に至り、明治五年村社となり、同時に旧山王権現の称を廃して日枝神社と改称す。
又伝に云う。当社には古来相殿の神ニ座あり、社家の旧記に「祭神大山咋神相殿ニ座、木花開耶姫神、猿田彦命合せて三座」と見え、天保年中書写の祝詞文にも又三座の神号を列記せり。但し明治十二年調進の明細帳には、右相殿のニ座を載せず。然れども右相殿のニ神はもと当社の信仰上に起因せるを以て、聊か左にその由来を述べん。
そもそも当社は中世両部習合の結果、浮屠氏山王権現と称し猿猴を以てその神使となす等、附会の説にもとずき、彼の猿猴は猿田彦神の御容貌に酷似せるより遂に相殿の神となし、後世婦女俗信の起因を成すにいたれり。又木花開耶姫神は天孫邇々芸命の妃神にましまして、その御子を産み給う時に当り、火中の産殿に入りて恙なく御平産ましませしとの古伝により後世産婦の守護神として是れ又相殿の神と仰ぎ、益々婦女の信仰を集めしが如し。口碑の云うる処に拠れば、当社は中古桐生家繁昌の時代にあたり、内室等の信仰、別けて厚かりしかば、社殿を御屋敷の地内に建てて朝暮日参に便せりと言い、殊に後世に至りては、御神木楠の枝葉を採って安産の霊符となし、是れを煎じて服用すれば、妊婦は乳を潤沢ならしむと言い、恰も神木の枝葉を以て霊薬の如くに尊信して、今猶諸方より来り乞うもの少しとせず。」
明治四十二年一月十一日、上久方居館の無格社琴平神社と境内末社天満宮を合併、同年二月八日同字城ノ前無格社雷電命社を、次いで八月二日には字金沢の無格社出羽神社を合併した。
-桐生城跡日枝神社のクスノキ群-
社殿の左手の四本のクスノキで南北朝時代に桐生国綱が神木として献上したと伝えられる。
暖地性の植物のため一箇所に数株を見ることは珍しい。従って、史木としてのみでなく巨木としても貴重である。
第一樹は、目通り4.1m、樹高24m。第二樹目通り3.7m、樹高22m。第三樹目通り3.6m、樹高23m。第四樹目通り3.2m、樹高25m。第一〜第三樹は約600年、第四樹は約300年の樹齢と推定される。
第三樹は隣接するカヤ木に寄りかかっているため危険であり、上半分の代採等全体的な手入れを昭和五十七年九月に実施した。
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群馬県の神社一覧
神社一覧リスト
栃木県 群馬県 茨城県 埼玉県 千葉県 東京都 神奈川県
-表の見方-
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高山神社(群馬県太田市)

神社名:高山神社(たかやまじんじゃ)
祭 神:高山彦九郎正之命
鎮座地:群馬県太田市本町48-32

-高山神社 全国神社名鑑由緒-
明治六年、県の許可を得て正之の生誕地である細谷村に石祠を設け、同十一年、内務卿の指令を受け、陛下、各皇族よりの下付金ならびに一般の寄付を得て社地を現在地に選んで造営した。同十二年鎮座を行った。同十三年三月県社に列した。
大東神社(群馬県伊勢崎市)

神社名:大東神社(だいとうじんじゃ)
祭 神:事勝国勝長狭命
配 神:大日靈命 菅原道真命 大雷命 櫛御気野命 木花咲爺比売命 市杵島比売命 素盞鳴命 大物主命 大山昨命 大山祇命 迦具土命 宇気母智命 日本武命 伊邪那岐命 柿本人麿命 大己貴尊 埴土安媛命 誉田別命
鎮座地:群馬県伊勢崎市東小保方町3304
駐車場:公園駐車場が隣接

-大東神社 伊勢崎佐波の神社誌由緒-
創建に関する由緒文献の類は現存しないが、口碑の伝える所によると、小保方村はその昔、夷毛野原と称され、第十代崇神天皇の御代、東国開拓の祖たる豊城入彦命の東夷御征討に際して、その武臣が先駆して来て神社を創建し郷民に崇敬の道を教えた。これを夷毛野大明神と言い、上野国神名帳に佐位郡従四位上郡都奈明神とあるのは当社であるとされている。清和天皇の貞観元年(859)正月十三日、宮内少輔従五位下清原真人が上野介となり、郷土の安寧を祈って社殿を修理し奉幣の儀を挙げた。陽成天皇の元慶二年(878)二月十五日、左京権亮従五位下源朝臣建が上野介となると、また奉幣の式を行い神領を寄進した。後鳥羽天皇の御代の文治二年(1186)七月二十日、上野守護阿多地盛長の長子景盛がその職を継ぐと、社殿を修理し神領を寄進して社名を生野大明神と改めた。後醍醐天皇の御代、新田義貞が北条氏征討の時に戦勝を祈願し、大願の成就すると社殿を改築し、神号を勝呂大明神と改めた。後陽成天皇の慶長五年(1600)、久永源兵衛がこの地の領主となると、社殿を改築し神田を寄進し、毎年幣帛を奉納して祭事を怠ることなかった。慶応年間(1865〜68)、合併神社の雷電社に角力年寄浦風浪右衛門による相撲辻免許の奉納がなされ、以来秋季祭典の行事として角力が行われてきた。(現在は途絶している。)明治四年本殿を修理し、同六年村社に列した。同四十年二月、神社整理の訓令が発布され、字台・新町に散在する小社十社を合併し、大正二年十二月には再び大字東小保方各区の無格社大小三十二社を合祀し、現在地に社殿を新築して遷座し、大東神社と改称した。神社移転の理由については、この地はもの夷毛野原の一部を画して公共地とし、旧地頭の時は代官所が設置された所であるが、明治初年に学校が建築され、その後村の中央に町村合併の東小学校が開校すると分教場に縮少され、残りの地を神社用地として寄贈されたためによる。これは、県下でも神社合併合祀の代表的な例といえる。
-大東神社 旗本久永氏陣屋跡案内板-
現在の東小保方地区は江戸時代には東小保方村と呼ばれ、徳川家の旗本久永源兵衛重勝の領地でした。久永氏は石見国(島根県)の出身であり、埼玉や茨木にも領地が点在する禄高3,200石の旗本でした。
東小保方村は石高が1,182石の村であり、久永氏は村の支配のためにこの地に陣屋を設けました。陣屋は東西75m、南北120mの大きさで、濠や土居が構えられていました。濠はその後拡幅されて池となってしまい、現在では南池の南端と西池の東端にわずかに当時の面影が残されているのみです。
南面には正門を有し、更に南へと通路が続いて細長い大手枡形となり、南端には木戸が設けられていたものと思われます。この形は陣屋特有のものであり、県内でも吉井や岩鼻の陣屋がこれと同じになっています。
明治維新後陣屋は廃され、一時期小保方小学校として使われるとともに、大正二年には周辺の神社を合祀した大東神社がおかれ今日に至っているものです。
上野国延喜式内社・式外社・一の宮
上野国十二座 大三座 小九座
片岡郡 一座小
小祝神社
・小祝神社 群馬県高崎市石原町1247
甘楽郡 二座 大一座小一座
貫前神社 名神大
・貫前神社 群馬県富岡市一ノ宮1535
宇藝神社
・宇藝神社 群馬県富岡市神成1178
群馬郡 三座 大一座小二座
伊加保神社 名神大
・伊香保神社 群馬県渋川市伊香保町伊香保1
椿名神社
・榛名神社 群馬県群馬郡榛名町榛名山849
甲波宿禰神社
・甲波宿禰神社 群馬県渋川市川島1287
勢多郡 一座大
赤城神社 名神大
・赤城神社(本宮) 群馬県前橋市三夜沢町114
・赤城神社(元宮) 群馬県勢多郡富士見村赤城山小鳥ヶ島
・二宮赤城神社 群馬県前橋市二之宮町886
山田郡 二座小
美和神社
・美和神社 群馬県桐生市宮本町2-1-1
賀茂神社
・賀茂神社 群馬県桐生市広沢町6-833
那波郡 二座小
火雷神社
・火雷神社 群馬県佐波郡玉村町下之宮524
倭文神社
・倭文神社 群馬県伊勢崎市東上之宮町380
佐位郡 一座小
大國神社
・大國神社 群馬県伊勢崎市境下渕名2827
式外社
波己曾神社(三代実録)
・妙義神社 群馬県富岡市妙義町妙義6
・中之嶽神社 群馬県甘楽郡下仁田町上小坂1248
・波古曽神社 群馬県富岡市妙義町行沢
小高神社(三代実録)
・小高神社 群馬県利根郡昭和村糸井
若伊賀保神社(三代実録)
・若伊賀保神社 群馬県渋川市有馬
丹生神社(三代実録)
・丹生神社 群馬県富岡市下丹生
・丹生神社 群馬県藤岡市浄法寺1255
稲裹地神社(三代実録)
・稲含神社(前宮) 群馬県甘楽郡甘楽町秋畑
・稲含神社(奥宮) 群馬県甘楽郡下仁田町栗山
・稲裹神社 群馬県吾妻郡吾妻町四万
荒船神社
・荒船神社 群馬県甘楽郡下仁田町南野牧
備考:播磨国式外社
長壁神社
・前橋東照宮 群馬県前橋市大手町3-13-19
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下野国延喜式内社・式外社・一の宮
下野国延喜式内社
下野国十一座 大一座 小十座
都賀郡 三座小
大神社
・大神神社 栃木県栃木市惣社町477
・太平山神社 栃木県栃木市平井町659
大前神社
・大前神社 栃木県下都賀郡藤岡町大前383
村檜神社
・村檜神社 栃木県下都賀郡岩舟町小野寺2255
・胸形神社 栃木県鹿沼市村井町1088
河内郡 一座大
二荒山神社 名神大
・宇都宮二荒山神社 栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1
・日光二荒山神社 栃木県日光市山内2037
芳賀郡 二座小
大前神社
・大前神社 栃木県真岡市東郷947
荒樫神社
・荒橿神社 栃木県芳賀郡茂木町小井戸325
・大前神社(相殿) 栃木県真岡市東郷947
・荒橿神社 栃木県真岡市八木岡273
那須郡 三座小
健武山神社
・健武山神社 栃木県那須郡那珂川町健武2302
温泉神社
・温泉神社 栃木県那須郡那須町湯本182
三和神社
・三和神社 栃木県那須郡那珂川町三輪726
寒川郡 二座小
阿房神社
・安房神社 栃木県小山市粟宮1615
胸形神社
・胸形神社 栃木県小山市寒川1730
・網戸神社 栃木県小山市網戸102
式外社
伊門神社(三代実録)
・亀岡八幡宮(伊門神社) 栃木県芳賀郡益子町小宅1369-1
・荒橿神社(論社) 栃木県芳賀郡茂木町小井戸325
・大葦神社(参考) 栃木県鹿沼市下大久保44
賀蘇山神社(三代実録)
・賀蘇山神社 栃木県鹿沼市入粟野713
・加蘇山神社 栃木県鹿沼市上久我石裂山
綾都比神社(三代実録)
・大橋八幡宮 栃木県下都賀郡都賀町大橋
・晃石神社 栃木県下都賀郡大平町西山田3502
香取神社(永万記)
・不明
備考:下総国延喜式内社
結城郡 高椅神社
・高椅神社 栃木県小山市高椅702
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比呂佐和神社(群馬県桐生市)

神社名:比呂佐和神社(ひろさわじんじゃ)
祭 神:大穴牟遅命 他十三柱
鎮座地:群馬県桐生市広沢町3-3811
御朱印:あり
由緒書:あり
駐車場:裏参道入口正面に数台

-比呂佐和神社 由緒書-
勧請年月不詳
勢多郡三夜沢村赤城神社より分霊を請いて祭るという。山田郡誌によると、当社は天正十八年(1590)に伊藤氏によって勧請されたもので、元、赤城山より柏の木を移植して神木とした(この木一丈程の大木となった)ために柏の大赤城と尊称されたという。
明治四十二年無格社を合併し、赤城神社あらため比呂佐和神社とする。
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栃木県の神社一覧
神社一覧リスト
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神社一覧統合計画
栃木県・群馬県は記事としてではなく、ファイルとして掲載していますが、どうも記事の方が使いやすいような気がしてきたので作り直します。
各県内の一部の神社だけですが、それでもかなりの量ですのでまた作るのかと思うと結構しんどいです。
でも自分が使いたいので作りますよ。
神社数も増量計画中です。
まずは栃木県から。
世良田八坂神社(群馬県太田市)

神社名:世良田八坂神社(せらだやさかじんじゃ)
祭 神:素戔鳴尊 他
鎮座地:群馬県太田市世良田町1497
駐車場:境内に駐車スペースあり

-世良田八坂神社 案内板-
八坂神社の創建は明らかでないが、縁起によれば新田氏代々の崇敬社であり、織田信長も同社を崇拝し社殿を修造したという。また尾張国(愛知県)津島天王社の分霊を移したとも伝える。これは世良田政義の娘と南朝の王子尹良親王との間に出生した良王が、津島天王社の神主となったという故事によるものであろう。
「永禄日記」(長楽寺蔵)の永禄八年(1565)六月七日の条に、「天王祭ヲイタス」とあり、古くは「牛頭天王」を祀る天王社であった。江戸時代は神宮寺(大正二年普門寺へ合併)が奉仕し、世良田・女塚・境・三ツ木・粕川村など五ヶ村の鎮守であったが、明治初年さらに平塚・村田村・木崎宿などが加わり、二十四ヶ村の郷社とされ、八坂神社と称した。
当社は、農業・疫病除けの神として広く信仰されている。特に夏祭は「世良田祇園」として知られ、かって十一台の屋台が繰り出して競う祇園ばやしは、夜空にこだまして絢爛幻想の世界を現出し、関東の三大祭の一つに数えられた。近年は交通事情により祭りの規模は縮小されているものの、村人により祭り屋台・囃子が良く保存されており、神輿の渡御などに「世良田祇園」の伝統が受け継がれている。
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伏見稲荷神社御朱印(栃木県足利市)
伏見稲荷神社の社務所で宮司さんに御朱印を戴く。
参拝して社務所らしき建物へ行くと、数名の女性の方が本を読んでいた。
周りを見渡すと、図書館のようにずらりと本が並んでいる。
女性の方に声をかけると、もうすぐ宮司さんが来るそうだ。
数秒待つと、向かいの宮司さん宅から宮司さんがいらっしゃった。
御朱印をお願いすると、御朱印を持ってきて戴いた。
捺して頂いている間、暫く境内の鳩を眺める。
ちなみに稲荷神社なので鳩は眷属ではない。
小さなお宮だが、鳩がいるだけで随分と雰囲気が変わる。
由緒書はないそうで、元々足利市五十部町に鎮座していたそうだ。
事故により伏見稲荷神社は廃絶、その後この地に再建されたと云う。
堀込白山神社(栃木県足利市)
茂木八雲神社御朱印(栃木県茂木町)
八雲神社の社務所で御朱印を戴く。
宮司さんも禰宜さんも外出してしまって、宮司さんの奥さんらしき方が暫く御朱印を探していた。
待っている間、資料館を拝見する。
細川家の宝物を拝見していると、茶菓子を出して頂いた。
回すんだっけ?と思いながらも普通に本格的な抹茶と落雁をご馳走になる。
由緒書はあるらしいが、どこにあるのかわからなかったそうだ。
御朱印を見てみると宮司印だった。
一生懸命書いて戴いたので、これはこれで良いとしよう。
菖蒲神社(埼玉県菖蒲町)

神社名:菖蒲神社(しょうぶじんじゃ)
祭 神:袋田大明神(奇稲田姫命) 鷲宮大明神(武蝦夷鳥命) 久伊豆大明神(大己貴命)
鎮座地:埼玉県南埼玉郡菖蒲町菖蒲552
御朱印:あり
由緒書:あり(未確認)
駐車場:境内に駐車スペースあり

-菖蒲神社 案内板-
菖蒲神社は、古くは袋田社、袋田明神社とも呼ばれ、奇稲田姫命を祭神とする神社で、境内は東西二十五間(約45m)、南北四十三間(約77m)で、面積は1715坪を有していた。
現在の祭神は、袋田大明神、鷲宮大明神(武蝦夷鳥命)、久伊豆大明神(大己貴命)の三神で、五穀豊穣、厄除、病気平癒に霊験あらたかという。御神体は銅鏡で、本地薬師の像が彫られており、裏に寛文九年(1669)九月の銘がみられる。
新編武蔵風土記稿には末社として稲荷天神合社、雷電社、大黒天金毘羅秋葉聖徳太子合社があり、ほかに村内には稲荷社(村民持)、愛宕社(慈眼院持)、若宮八幡社、三所権現社があったと記されている。
毎年一月十五日には、注連飾や古いお札を持ちより左義長が行われる。左義長は「どんど焼き」ともいわれ、長い竹数本を立て、門松や書初めなどを焼き、その火で焼いたモチを食べると一年間の病が除かれるというものである。
なお、三月下旬から五月下旬までの二、七の日には、鳥居前の通りに植木市が立ち賑わっている。
神社巡り 〜宇都宮市周辺編〜
参拝神社:楡木神社・根裂神社・宇都宮二荒山神社・雷神社・蒲生神社・塙田八幡宮・今泉八坂神社
御朱印:宇都宮二荒山神社・宇都宮二荒山神社(恵比寿)・今泉八坂神社
由緒書:宇都宮二荒山神社・蒲生神社・今泉八坂神社
所要時間:4.5時間くらい
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中村八幡宮御朱印(栃木県真岡市)
中村八幡宮社務所で御朱印を戴く。
由緒書は無いそうなので、境内案内板を参照して欲しいとのこと。
参拝時期は桜が散り始めた頃、境内の桜もほぼ終わり。
二人組みの参拝者が境内を出ると、私だけになった。
贅沢なひと時。
流鏑馬が行われる長い参道を天気の良い日に歩くのも気持ち良さそうだ。
桐生西宮神社(群馬県桐生市)

神社名:西宮神社(にしのみやじんじゃ)
祭 神:蛭子大神
鎮座地:群馬県桐生市宮本町2-1-1
御朱印:あり
由緒書:あり
桐生西宮神社公式サイト

-桐生西宮神社 由緒書・案内板-
桐生西宮神社は延喜式内上野十二社の一社美和神社の御祭神が大国主命である関係から明治三十四年十月摂津西宮神社の御分霊をいただき商業、工業、農業、交通、海運、漁業等に、霊験あらたかな蛭子大神(恵比寿様)を桐生ヶ岡公園におまつりした神社です。
此の西宮神社を関東一社と申します理由は蛭子大神を御祭神とする神社は桐生だけで各地の恵比寿様は国土開発等に御神徳のある大国主命又事代主命をお祀りした神社であり御祭神の相違から区別されて関東一社と称せられて居ります。
11月19日、20日の例大祭近郷近在は申すまでもなく栃木、埼玉等隣接各県から参拝者は数十万を数え桐生全市に恵比寿講の雰囲気が溢れまれに見る賑やかな大祭典となります。
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磐裂根裂神社御朱印(栃木県壬生町)
磐裂根裂神社の社務所で御朱印を戴く。
宮司さんには電話連絡すると参拝日は日が良いそうで不在だった。
午後なら社務所にいるとのことで、お忙しい中時間を作って戴いた。
早朝の参拝から再び参拝する
。
神紋は三つ巴で、お願いして御朱印にも捺して戴いた。
待っている間、御守りを眺めていると天然石御守りが目に付いた。
磐と石、そんな連想。
オレンジ色の天然石御守りを選び一緒に戴く。
由緒書や夢福神スタンプは拝殿の前に置かれているので、宮司さんが不在でも戴ける。
美和神社(群馬県桐生市)

上野国延喜式内社:美和神社
神社名:美和神社(みわじんじゃ)
祭 神:大物奇甕玉命 建速須佐之男命
鎮座地:群馬県桐生市宮本町2-1-1
御朱印:あり
由緒書:あり

-美和神社 由緒書-
当社は大和国御諸山神鎮まり坐す「元」官幣大社「現」大神大社と御同神にして創建は人皇十代崇神天皇の御代今を去る弐千有余年前我毛野国に東国鎮護の神として奉斎時恰も天下疾疫大に流行し時天皇之れを憂慮し玉ふ一夜大物主命天皇の御夢に告げて曰く之れ我御心なり宣く我御前を祭祀せば立ち所に息み年亦豊穣國家安穏なるべしと於是御社を御諸山に建立し御神霊を奉斎す此の事大和の御本社由緒記にも見ゆ。
(下野国十二社式内大神神社も同時鎮祭せしものならん)
当社は桓武天皇延暦十五年八月甲戌上野国山田郡美和大神を官社と為すと日本後記に見え後清和天皇貞観四年五月二十五日を以て従五位下勲十二等を授けられ又三代実録に陽成天皇元慶四年五月戌寅従五位の上より正五位以下勲十二等を授けられ其后朱雀天皇白河天皇崇徳天皇高倉天皇後鳥羽天皇土御門天皇亀山天皇後宇多天皇の各朝より位階を賜進せられたり延喜制式内の小社に列せられ国帳従一位美和大明神と記しあり
延享元年八月二十七日神祇道管領卜部朝臣兼確より上野國山田郡園田庄桐生鎮座三輪神社の御神号を贈進せられ。
旧旗本布施孫兵衛斯る古社の釆邑にあることを喜ひ毎年当社へ御供米参斗八舛御燈明料として米八石を慶応四年辰三月迄寄進せらる。
明治五年十一月郷社に列せられ。第二十三大区十二小区の鎮守とす。
明治四十一年七月省令に依り桐生町村社八坂神社を合併。
桐生天満宮(群馬県桐生市)

神社名:桐生天満宮(きりゅうてんまんぐう)
祭 神:天穂日命 菅原道真公
鎮座地:群馬県桐生市天神町1-3-4
御朱印:あり
由緒書:あり
駐車場:あり

-桐生天満宮 由緒書-
今からおよそ1800年前の景行天皇の時代に上毛野国造が土師部の遠祖である天穂日命を磯部の岡に奉斎した磯部明神が当宮の起源です。
その後幾多の星霜を経て、文治三年(1187年)から当地を支配した桐生家が代々の守護神として崇敬し、観応年間(1350年頃)には京都北野天満宮の御分霊を合祀して「桐生天満宮」と改称し、桐生領五十四ヶ村の総鎮守と定められました。天正九年(1581年)に徳川家康公が東征の祈りには徳川家累代祈願所として朱印領を賜わりました。天正十九年(1591年)より徳川家の支配下となり、当宮の鳥居前には新たに「桐生新町」が形成され、鳥居から南へ向かって日本で最初の丁割りに基づく桐生の街並みが整えられました。
慶長五年(1600年)の関ヶ原合戦の折には軍旗に用いる絹織物を社殿に献上して戦勝祈願を行い、その勝利凱旋を吉例として境内に織物市が開設され、後の桐生織物繁栄の礎となりました。
-桐生天満宮 末社春日社-
天満宮本殿の裏側に鎮座する末社の春日神社社殿は、一間社流造の建築様式で、規模は小さいものですが、先日の文化庁建造物課調査官による詳しい調査でも、慶長(1600年)以前の桃山時代頃の建立であると判明しました。このことは、現存する桐生の建造物の中では最古のものであるということです。
桃山時代は戦国乱世の頃で、その時代の建造物の遺存例はきわめて少なく、この「末社春日社」は、中世からの伝統を引き継ぐ地域色の豊かな独自の建造物であり、桐生を代表する大切な文化遺産として、桐生市指定の重要文化財となっております。
-桐生天満宮 社殿-
当宮の社殿は、近世の神社建築の典型とされる権現造の形式で、切妻流破風の本殿および幣殿には精巧で華麗な彫刻が施され、当初は画工の狩野益広が描いた「天満宮本社幣殿拝殿妻之図」のように極彩色に彩られていました。社殿造営は明和八年(1771年)に企図され、安永七年(1778年)に起工、寛政十一年(1799年)九月に落成したものです。造営は、町田主膳栄信によるものですが、彫刻は本殿七面あり、上段には二十四孝の話・下段に唐子遊びの図、他にも細部に至るまで贅を尽くした彫物が社殿と見事に調和しています。
そして、古来「岩の上の天神」と称されるように、本殿・幣殿は岩の上に建ち、当時の建築装飾技術の粋を集めた建造物として、群馬県指定の重要文化財となっております。
橋姫社-神橋-御朱印(栃木県日光市)
神橋左側の授与所で御朱印を戴く。
渡橋券を購入するときに御朱印をお願いしておいた。
天気は雨だが、この神橋を渡るために日光へ来たので気分はウキウキ。
団体さんが渡るのを待って、1人だけで渡れるのを待つ。
雨に濡れた神橋は朱が鮮やかになり、とても美しい。
神橋を渡って戻ってくると、すでに書かれて置かれていた。
橋姫社の御朱印なのに神橋と書かれていたのが少し残念。
恐らく記念的な意味が強いのだろう。
次回戴く機会があったら橋姫社で戴こうと思った。
調神社(埼玉県さいたま市浦和区)

武蔵国延喜式内社:調神社
神社名:調神社(つきじんじゃ)
祭 神:天照皇大神 豊宇気姫命 素戔鳴尊
鎮座地:埼玉県さいたま市浦和区岸町3-17-25
御朱印:あり
由緒書:あり

-調神社 由緒書-
浦和駅の南西約五百米、旧中仙道東側に鎮座。旧県社で御祭神は天照皇大神、豊宇気姫命、素盞鳴尊の三柱を祀る。社名を調(つき)神社。
地元では「つきのみやさま」と愛称されている。
「調宮縁起」によれば、第十代崇神天皇の勅命により創建。調とは「租・庸・調」の調で、伊勢神宮へ納める貢(調)物の初穂を納めた倉庫群の中に鎮座していたと伝わる。(鳥居無きはその為と伝わる)平安時代に編集された「延喜式」に記載される武蔵国四十四座のうちの一社である。
中世、調が月と同じ読みから、月待信仰に結びつき、江戸時代には月読社とも呼ばれ、月神の使いとされる兎の彫刻が旧本殿や現在の社殿に、狛犬の代わりに兎の石像が境内入口両側にある。
神域は約一万二千平米。欅、銀杏の大樹が鬱蒼と茂る鎮守の杜と、江戸時代末に建立の権現造の社殿が、悠久の歴史を今に伝えている。
毎年十二月十二日には「十二日まち」が開催。
神社では「かっこめ」を領布、境内を中心に縁起物の熊手をはじめ様々な露店が立ち並び、近在からの人手で賑う。
御利益は、運否天賦の「ツキはツキを呼ぶ」との謂れから、幸運を授かる信仰とされる。
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日光二荒山神社中宮祠御朱印(栃木県日光市)
日光二荒山神社中宮祠の社務所で御朱印を戴く。
どの御朱印帳で戴こうかと悩んだが、日光二荒山神社で購入した御朱印帳にすることにした。
日光方面で使うのにわかりやすいと思ったからだ。
御朱印帳を渡すと、神職の方が皆さん字が達筆ですねと言っていたが中宮祠の御朱印に書かれた字も充分達筆。
あとは奥宮の御朱印で日光二荒山神社系の御朱印が揃うがいつになることやら。
帰りに七福神を探し、巫女さんに記念品を戴く。
七福神探しはちょっとした楽しみでもあった。
常祇稲荷神社(群馬県桐生市)

神社名:常祇稲荷神社(つねぎいなりじんじゃ)
祭 神:倉稲魂命(宇迦之御魂神)
配 神:健御名方神 伊弉冊命 迦具土命 彦狭島命 速須佐々男命 誉田別命 栲機千々姫命
鎮座地:群馬県桐生市仲町3-16-9
御朱印:あり
由緒書:あり
駐車場:あり

-常祇稲荷神社 由緒書-
当社の祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、古くから五穀生産衣食住の守護神として知られている。そのはじめは、江戸時代の初期に、村松村美和神社の神主小島刑部が、今泉村に小社を建立したのによるものと伝えられている。さらに慶長十八年(1613)今泉村常木(現在地)に遷座し、稲荷明神として村民から崇敬され、後に刑部の弟小島民部が神主となった。
正保四年(1647)九月十三日火災のため社殿が全焼し、このとき、内陣にあった幣帛が、たちまち空に舞い上がり、神木の枝に止まった。これを見た村民は、不思議に思い群集して礼拝したといわれている。民部の息子権之助がこの幣帛を下ろして仮屋に奉遷した。これ以後、当社の神徳の高いことが評判となって、参詣者が多くなり、翌慶安元年(1648)には、社殿が再建された。また正徳三年(1713)にも社殿を建替え、同五年(1715)正一位に叙せられた。
こうして当社は、今泉村の氏神であったばかりでなく、桐生新町の町民にも崇敬され、祭礼の日には、全町神灯をかかげて祝ったということである。
なお嘉永元年に、当社の神主小島氏が、江戸域内で行われた、将軍の病気平癒の祈祷に、精進したともいわれている。
明治初年ふたたび火災にあい、社殿を焼失したが、翌二年再建され、今日に至った。さらに同四三年七月諏訪神社・八坂神社などを合祀し、大正八年四月村社となった。
-常祇稲荷神社 桐生市史神社編由緒-
今泉村古事談(享保末年から元文初年の著作)に「常木(祇)稲荷明神の事」という項があり、当社の起源由緒をよく伝えている。
「そもそも常祇稲荷明神は今の林(森)の艮(東北)に当って僅かの(ささやかな)小社あり、一説には愛染明王の祠とも云えり。祭神分明ならず。其頃此林は松村小島摂津(三和社神主)の所持なり。慶長十八年癸丑秋古社を破壊して新社を造立す。今の宮所なり。稲荷明神と崇む。同年九月十三日遷宮あり、よって此日を毎年神事祭礼の日とす。其後に摂津の弟民部を神職とす。正保四年九月十三日此社炎焼す。此内陣の御幣神木の上に飛うつって焼けず。諸人奇異の思いをなし群集してこれを拝す。民部の子権之助此時十三歳童形、之れを降し仮屋に移し、明る慶安元年子の夏、社を造立し、八月朔日の神事と定めたり。今に然り。元禄六年鳥居造立、同十四年より十六年迄境内へ氏子の者杉を植え寄進す。また御供田を寄附す。其後正徳三年に社を造立同十二月廿八日遷宮あり、此時より観音院を社僧と定む。同五年子年に今泉村氏子瑞籬を寄進す。」
また「天正十八年庚寅再写修験旦那帳」によると「常木大夫民部少檀那之分」という記載がある。これが常祇稲荷神主になった小島摂津(刑部)の弟民部であろう。民部は天正末当時既に今泉村常木に住む修験者で近くの小社を別当として管掌していたものであったろう。宝暦三年の桐生新町差出帳には「今泉村稲荷大明神祢宜勘兵衛。三輪明神は上三町(一、二、三丁目)之氏神ニ御座候。下三町(四、五、六丁目)ハ稲荷と申し候。大明神ニ御座候」とある。このような事情から文政元年の「金子太郎兵衛文書」によると、稲荷の祭典には下三町内が神燈をかかげ、美和の祭典には上三町が神燈をかかげるというようなことが慣例になっていたが、このようなことが全町不和の原因になってはという配慮で太郎兵衛等の肝入りでどちらの祭礼にも新町の町神灯をかかげて祝うようになったと伝えられている。常木稲荷は、今泉村の総鎮守であったばかりでなく、新町の町民にも崇敬されていたものであった。
上野国神名帳に記された「山田郡御槐明神」を、当社に比する説が一部に行われている。その理由は今稲荷社の鎮座する土地の周辺は、むかしから「さいかち原」と呼ばれて来たという。神名帳の槐を「さいかち」と読んで地名にあて、両者をむすびつけたものらしい。しかし神名帳には御槐をミヱノと読みをつけたものがあり、両者を混同する理由は薄いらしい。
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宮原八幡宮御朱印(栃木県那須烏山市)
宮原八幡宮の社務所で御朱印を戴く。
参拝時、社務所は留守だったので隣の宮司さん宅へ向かうと、宮司さんが芝刈り機で除草作業をしていた。
作業を中断させて申し訳なく思いながらも御朱印をお願いする。
とちぎ神社ガイドにもお願いすると、結構集めている人が多いことを聞く。
全部集めた人はいるのだろうか。
宮司さんにお聞きしたところ、意外と集めている方は多いそうだ。
御朱印帳を見てなのか、宮原八幡宮は他の神社と比べてどうですか?と聞かれたので素晴らしい神社ですと答えた。
社交辞令ではなく、実際境内は木々に覆われて清清しくとても気持ちが良い素晴らしい神社だ。
テンプレ作成中
ブログっぽくないブログですが、それに拍車をかけようかと思いまして。
ネスケだと今のテンプレじゃ、バグるらしいですし。
見やすい、使いやすいをモットーに作ってますよ。
ただ、HTMLだけじゃなくてブログのFC2専用タグがわからなくて難航中。
特にTBがどうもうまくいかない・・・。
TB投稿テスを人柱にお願いするか。
ベースは神社の朱が好きなので赤。
え、これがブログ?みたいの目指して頑張ってます。
来週中には完成できるかもしれない?
更新はなるべく出来るようにしようかと思ってます。
足利伏見稲荷神社(栃木県足利市)
鷲子山上神社御朱印(栃木県那珂川町)
鷲子山上神社の栃木県側社務所で御朱印を戴く。
参拝時、栃木県側も茨城県側も社務所は誰もいなかった。
御朱印を諦めて、お昼時だったのもあり茶屋で昼食をとる。
お店の方と話をして、社務所には誰も居ないのか尋ねるとどうやら社務所の方はここで休憩していたようだ。
なので食べ終わってから御朱印を捺して戴いた。
茨城県側は別の神社が管理しているので御朱印があるかどうかわからない。
御朱印帳も無地の定番のならあるそうだ。
由緒書は栃木県側の社務所に置いてあった
。
茨城県側の社務所はお祭りなどイベント時にしか居ないそうなので少し残念。
もしかしたら茨城県側は栃木県側と違う御朱印があるのかもしれない。
天気が良く、神社も木々も気持ちが良い。
蕎麦もとても美味しかったので大満足した。
世良田東照宮(群馬県太田市)

神社名:世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)
祭 神:徳川家康公
配 神:菅原道真公 倉稲魂命 須佐之男命 伊弉冉命 火産霊命 大穴牟遅命 誉田別命 建御名方神 豊城入彦神
鎮座地:群馬県太田市世良田町3119-1
御朱印:あり
由緒書:あり
駐車場:あり
世良田東照宮公式サイト

-世良田東照宮 案内板-
元和二年(1616)徳川家康は駿府(静岡市)で七十五年の生涯を閉じた。遺命により、遺体は一旦駿府郊外の久能山に葬られ、翌年下野国日光に改葬された。それより二十年の後、社殿は三代家光によって全面的に改築され、今日の東照宮が完成した。当時日光輪王寺と長楽寺の住職を兼ねていた天海は、旧社殿の一部を長楽寺元境内に移築して東照宮を勧請した。当地が徳川氏発祥の地であり、当寺が徳川義季開基とする寺だからである。幕府は、長楽寺をその別当寺としてその管理や祭祀に当らせ、二百石の社領を与え、その社殿の修理や祭祀の費用は幕府の財政によって賄われることになった。桁行五間・梁間三間の拝殿は、日光奥社の拝殿を移したものである。家康の最初の墓標として建てられた多宝塔もここに移され、本地堂(俗に塔の薬師)として、明治初年までその豪華な姿をとどめていた。
東照宮の鎮座により地元世良田の住民はもとより、近隣十数か村の住民は、東照宮の火の番を奉仕することによって道中取郷を免除されたり、幕府によって開削された神領用水の利用を許されたり、種々の恩典に浴することができた。
寛永二十一年(1644)に遷宮式が行われた。
-世良田東照宮 由緒書-
寛永二十一年(1644)、三代将軍徳川家光公は、世良田が徳川氏の先祖の地ということから、日光東照宮古宮(元和年間造営の奥宮)を移築し、家康公をお祀りしました。奉斎にあたり家光公から御神領二百石が寄進され、以後、幕府の手厚い保護を受け、徳川家代々礼敬を尽くされました。東照宮の御鎮座は文化・経済の発展を助長し、世に「お江戸見たけりゃ世良田へござれ・・・」と謡われました。
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